「彼らは自分たちのイメージを良くしたいと考えている。(ブランド攻撃が)拡大することは望んでいない。企業は介入して、騒動を鎮める必要がある」(Hollenbeck氏)
Hollenbeck氏は、McDonald'sとWalmartの不公平な商慣行を変えることに成功したブランド攻撃の提唱者たちの言葉を引用して、企業は十分な圧力をかけられれば消費者の要望に対応することができるし、実際にそうする、と述べた。
「インターネットの出現で、消費者はメガホンを手に入れた。企業はその声に対応しなければ、生き残ることができない」(同氏)
こうした激しい情熱が消費者の心中で燃え上がっていることを考えれば、熱狂的なファンを現実世界に落ち着かせて、インターネットが提供する匿名性を排除すると、多くの場合、議論が予想よりも穏やかに進行するのは、意外なことではない。
Rawson氏の近くで行列に並んでApple Storeが開店するのを待っていたRobert Nguyen氏は、「Androidにはクールな要素がある。iPhoneにもクールな要素がある。それは各人の好みに過ぎない」と述べた。
Ricky Perez氏も賞賛すべきところは賞賛すると認めた。「物事をうまく行うことが重要だ。iOS、さらには『Windows Phone』までもがAndroidより優れたソリューションだという状況は、間違いなく存在する」(Perez氏)
しかし、こうした冷静な議論の方がユーザーの実際の感情を正確に反映している可能性があるとしても、極めて辛辣で攻撃的、そして多くの場合において下品な批判が展開されるインターネットを閲覧したら、それが本当かどうか分からなくなるだろう。実際に、Googleでさえも、YouTubeユーザーに実名での投稿を促したり、チャンネル運営者にコメントを検閲できる機能を提供したりして、辛辣なオンラインコメントを抑制しようとしている。
だが、議論がこれほど険悪な段階に達していることに驚く人はいないはずだ。それが好きなブランドの応援であろうと、ほかのブランドに対する攻撃であろうと、何かに参加したいという気持ちは自然なものだ。そして、それは険悪な雰囲気になることもある。
Appleをむやみに信じるのは止めろとか、サムスンのスマートフォンを持ってここから出て行けとか指示する人がいなくなることは、決してないだろう。インターネットには今後も挑発的な言葉が投稿され、ブランドを憎む人がいなくなることもないはずだ。スマートフォンが私たちにとっていかに個人的で必要不可欠なものかを考えると、人々がこのデバイスに対して、世界のほかのどんなガジェットより激しい感情を抱くのは当然だ。そう考えると、ほとんどの人を興奮させるのはデートや車、新しい携帯電話ではないのかもしれない。おそらく、何よりも人々を興奮させるのは、自分が真実だと信じるものを本気で守ることなのだろう。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
住環境に求められる「安心、安全、快適」
を可視化するための“ものさし”とは?
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」