これは「スマートフォン戦争」の1つの面でしかない。スマートフォン戦争は、Appleとサムスン、Google、およびMicrosoftの間の法廷闘争を表すときにも使われる用語だ。これらの企業は特許をめぐって、閉ざされた法廷内で激しい争いを展開しているが、それらの企業の顧客の間で始まった戦いは相変わらず大っぴらに繰り広げられている。誰が優れていて誰が正しいのかを決めるために、ボクシンググローブをはめて公の場で戦っているのはそうした顧客たちだ(この状況をより深く理解したい人は、米CNETがiPhone 5sやサムスンの「GALAXY S4」といった話題のスマートフォンをレビューした記事に読者が残したコメントをいくつか読んでほしい。そこには、「awww, poor little iHater(ああ、かわいそうなiHater)」「typical clueless iTard(何も分かっていないいつものiTard)」といったコメントが大量に投稿されている)。
テクノロジをめぐってインターネット上で挑発行為や言い争いが起きるのは決して目新しいことではないが、スマートフォンにはそうした行為を個人的なレベルにまで引き上げる何かがある。
今日、スマートフォンは最もユビキタスな消費者向け製品の1つである。Pew Research Centerによると、米国成人の56%がスマートフォンを所有しているという(PDF)。従来型の携帯電話も加えると、その割合は91%にまで跳ね上がる。
Microsoftで「Windows Phone」のブランド担当ゼネラルマネージャーを務めるMatt Donovan氏は、「携帯電話はあらゆるテクノロジ企業にとって重要な分野だ。それは地球上で最も競争が激しいテクノロジ製品である」と言う。
スマートフォンはあらゆるところに存在し、ユーザーはスマートフォンと強い一体感を抱くので、それについて何らかの意見を持つことは、一部の少数の人に限られた行為ではない。スタンフォード大学のCommunication between Humans and Interactive Media Lab(人間とインタラクティブメディアの通信を研究するラボ)の教授兼所長であるClifford Nass氏は、例えば高級品の間で発生する対抗意識とは異なり、携帯電話については誰もが一家言を持っている、と主張する。
「これはフェラーリ対ポルシェの争いではない。スマートフォンの場合、それがどのようなものであるかを誰もが知っている」(Nass氏)
さらに、携帯電話は常に私たちのそばにある。目覚めたときに最初に確認するのは携帯電話だ。1人でいるときも携帯電話を見る。誰かと一緒にいるときも同じだ。携帯電話がないと裸でいるような感じがする。ベッドに入るときも手放さない。携帯電話からは、あらゆるソーシャルネットワークにアクセスできる。写真やカレンダーも保存されている。即座に情報を入手する手段でもある。そして、自分の分身でもある。
私たちがスマートフォンに親しみを覚えるのは、それを人間の声と結びつけて考えるからではないかとNass氏は主張する。その声の主が受話器の向こうの友達であろうと、「Siri」や「Google Now」「S Voice」のような仮想アシスタントであろうと、それは同じだ。
「話をするのは、私たちの最も社会的で人間的な行為だ。私たちがしゃべりはじめたり、人の声を聞いたりすると、『人間らしさ』とつながる脳の部位が活性化する」(Nass氏)
私たちはそうしたデバイスを個人的で親しみを感じるものと見なしているため、スマートフォンに関しては、いつもより簡単に感情的になる。そして周りの人から、あまりにも情熱的かつ感情的で、忠誠心が強すぎると見なされると、不可避の事態が発生する。つまり「ファンボーイ」という、いろいろな意味を含むレッテルを貼られることになる。
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