Perez氏は、iOSから離れてAndroidに傾倒するのはこれらの制約が理由だと話す。Androidはオープンソースソフトウェアなので、ユーザーはより自由にカスタマイズを行うことができる。Perez氏の場合、このカスタマイズ性の高さは同氏の自己像と一致する。
「私はテクノロジが大好きな人間だ。テクノロジが大好きな人間はそのオープン性の高さからAndroidに傾倒する傾向がある。私はAndroidのパーソナライズ機能と、制約がないことが気に入っているだけだ」(同氏)
アイデンティティが定まると、次は自分と同じ考えを持つ人たちを探して、仲間になりたいと思うようになる。実際に、iPhone 5s発売前夜にApple Storeの前に並んでいた人たちにその理由を尋ねたところ、最も多かった回答の1つが、行列をつくって待つという「集団体験」とそれがもたらす仲間意識だった。
Dessart氏は、「コミュニティーに参加することで得られる社会的および心理的な利益は、あらゆる人々に共通のものだ」と話す。しかし、同氏によると、団結してブランドを攻撃することにも利益があるという。
「ブランドに対抗するためには、コミュニティーに参加する必要がある。なぜなら、1人ぼっちだと影響力が全くないからだ」(Dessart氏)
インターネットとして知られる、無限の大きさを持つクラブハウスが出現したおかげで、コミュニティーへの参加は以前よりはるかに容易になった。インターネットは、人々が集合して自分の考えを話し合う空間を提供する。こうした活発な議論の真の目的はほかのユーザーを教育することだ、と主張する人もいるかもしれない。例えば、Perez氏は、人々がAndroidでできると思っていることとできないと思っていることにずれがあると感じていたので、それを修正するためにAndroid動画ブログを始めたと話している。同氏はそうした誤解を解消し、人々に学んでもらいたいと考えた。
ユーザーを教育したいというPerez氏の気持ちは誠実なものに思える。しかし、教訓主義を装って非難がましい口調で話すオンラインの人々の大半は、おそらくほかのユーザーを啓発するというよりも、自分は他人より賢いと感じたいためにそんなことをしているのだろう。
「Brilliant but cruel」(聡明だが残酷)現象が原因で、人間は批判的なコメントを即座に発したくなるのではないか、とスタンフォード大学のNass氏は話す。この用語を考案したのは、ハーバードビジネススクールの教授であるTeresa Amabile氏だ。Amabile氏は研究を通して、否定的な書籍批評の方が肯定的なものより知性的で信頼性が高いと見なされることを発見し、人間は極端に肯定的な評価に対して本能的に警戒心を抱くことを明らかにした。
「人間は否定的な態度を取ることで、自分は他人より賢いと感じる。『自分もそう思う』と言った人が、『自分はそうは思わない』と言った人より賢く見えることは決してない」(Nass氏)
そして、こうした口論や中傷、堂々巡りの論争は、筋金入りのファンや博学なテクノロジファンが住む人里離れた宇宙の反響室内のみで起こっているように思えるが、実は企業はそれを認識している。
簡潔に言うと、ファンボーイ的な行為がメインストリームにまで広まっている。
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