そうした製品の1つであるインラインスケーター向けの防具がNikeの目にとまった。Nikeは同製品のライセンスを取得し、Shum氏を雇いたいと申し出た(Primal Sportsで同氏のパートナーだったTony Hu氏は現在、ボストンでデザイナー兼コンサルタントとして働いている)。
Shum氏はNikeのアドバンスト・プロダクト・エンジニアリング・グループに加わった。また、Nikeの研究開発の大半が行われるInnovation Kitchenの初期従業員の1人となった。Shum氏は、Nikeの腕時計やスケート(同社がスケートを製造していたころ)の開発に携わった。後にNike+となるテクノロジの開発にも関与している。Nike+はセンサを使ってアスリートの運動パフォーマンスを追跡するテクノロジだ。
Microsoftが接触してきたのは2007年。そのころ、同社で最も精力的にデザインを推進していたJ Allard氏が、志を同じくするエグゼクティブやデザイナー、エンジニアのチームを作って、当時古くさくなっていた「Windows」OSと味気ないが不可欠な「Office」生産性ソフトウェアで知られていた時代後れのMicrosoftを変えて、消費者が切望する製品を作れるようにしようとしているところだった。
Allard氏は、初代「Xbox」を作ったチームや、期待外れに終わったデジタルメディアプレーヤー「Zune」に携わったグループを率いていた。同氏はMicrosoftを大きく変えたいと考えており、製品開発の最初の段階からデザインを取り入れ、デザイン思考を製品の捉え方に組み込むよう同社に強く求めた。
Allard氏は、シアトルのパイオニアスクエアにおける最先端技術開発事業としてPioneer Studiosを立ち上げ、Shum氏をスタジオディレクターに指名した。Shum氏はインキュベーションプロジェクトに注力する。Microsoftの不運なタブレット「Courier」がその1つだ。Microsoft経営陣によって終了されていなければ、Appleの「iPod」ローンチと同時期に登場していたかもしれないデバイスである。Shum氏は世界中の何億人もの人々に使われる可能性のある製品を作り出す機会に惹き付けられた。
「Microsoftではそれが現実になる可能性があった」(Shum氏)
Courierが日の目を見ることなく終了しただけでなく、Pioneer Studiosも閉鎖された。Allard氏は最終的にMicrosoftを去ったが、同氏が作り上げたチームのメンバーの多くはWindows Phoneグループに移籍する。AppleのiOSとGoogleのAndroidという新興OSに市場で瞬く間に追い抜かれ、Microsoftが事業を見直していた時期だ。
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