フォトレポート:宇宙開発の半世紀を振り返る - 9/16

文:CNET News.com Staff 翻訳校正:緒方亮、藤原聡美、吉武稔夫、大熊あつ子、小林理子、福岡洋一、長谷睦、高森郁哉2007年10月12日 18時10分
 ソ連と米国の宇宙計画は、互いに競争する形で始まったにせよ、1962年には米国のJohn F. Kennedy大統領とソ連のNikita Kruschev書記長が協力体制について話し合い、両国は宇宙開発に関する協力を開始した。ミールはソ連が開発した宇宙ステーションだが、その発展にはスペースシャトル計画が重要な役割を果たした。ミールは、さまざまなモジュールを1つずつドッキングさせ、10年をかけて建造された。最初のモジュールが打ち上げられたのは1986年だった。写真は宇宙ステーション、ミールの画像で、1995年2月初めにスペースシャトルのディスカバリー号が接近飛行をした際に撮影したものだ。それから1カ月後、3人の宇宙飛行士がミールに到着し、3カ月間の宇宙ステーション生活を始めた。それから1999年まで、ミールにはほぼ常に3人から6人のクルーが居住していた。NASAとロシアの科学者もミールに乗り込み、太陽系の研究のほか、宇宙空間で人類や動植物が見せるふるまいについても調査を行った。ミールは2001年3月23日に宇宙での役目を終え、大気圏に帰還して南太平洋に沈んだ。

 ソ連と米国の宇宙計画は、互いに競争する形で始まったにせよ、1962年には米国のJohn F. Kennedy大統領とソ連のNikita Kruschev書記長が協力体制について話し合い、両国は宇宙開発に関する協力を開始した。ミールはソ連が開発した宇宙ステーションだが、その発展にはスペースシャトル計画が重要な役割を果たした。ミールは、さまざまなモジュールを1つずつドッキングさせ、10年をかけて建造された。最初のモジュールが打ち上げられたのは1986年だった。写真は宇宙ステーション、ミールの画像で、1995年2月初めにスペースシャトルのディスカバリー号が接近飛行をした際に撮影したものだ。それから1カ月後、3人の宇宙飛行士がミールに到着し、3カ月間の宇宙ステーション生活を始めた。それから1999年まで、ミールにはほぼ常に3人から6人のクルーが居住していた。NASAとロシアの科学者もミールに乗り込み、太陽系の研究のほか、宇宙空間で人類や動植物が見せるふるまいについても調査を行った。ミールは2001年3月23日に宇宙での役目を終え、大気圏に帰還して南太平洋に沈んだ。

提供:NASA

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