鼻が痒くなった。本能的に鼻を掻こうと手を上げるが、3枚の手袋(2枚はゴム製、1枚は布製)で覆われた指は、頭全体を覆う全面マスクの透明なプラスチックシールドにぶつかってしまった。
片手にはぎこちなく握られた取材用のノートとペン。筆者はそのとき、ズボンとシャツの上からタイベック防護服を着こみ、頭には鮮やかな黄色のヘルメットを被っていた。さらに2重履きにしたソックスと重いゴム長靴。この姿で歩き回るのは簡単ではない。衣服は第2の皮膚と言うが(この場合は第3、第4の皮膚と言うべきか)、この装備はギクシャクとしたものに感じられた。閉所恐怖症を誘発しそうな装備は、ゾンビに襲われて世界が終末を迎える映画から抜け出てきたもののように見える。
しかも、痒いところを掻くこともできない。
これだけの厳重な防備をしたのにはそれだけの理由がある。筆者は、福島第一原子力発電所3号機原子炉建屋の上を覆う、洞窟のようなカバーの中にいた。この福島第一原発は、世界最悪の原子力災害の1つが発生した場所だ。
3号機は、2011年3月11日に太平洋沖約80マイル(約130km)で発生したマグニチュード(Mw)9.0の地震によって停止した、3基の原子炉の1つだ(当時、同発電所の4号機、5号機、6号機は停止していた)。地震の震動は極めて大きく、地軸が4インチ近く(約10センチ)ずれ、日本の海岸が8フィート(2.4メートル)移動したほどだった。当時この地域では、4つの発電所で11基の原子炉が稼働していた。すべての原子炉は自動的に停止し、目立った被害はなかったという報告が上がった。
その約1時間後、津波が海岸に到達した。
高さ50フィート(約14~15m)の波が防潮壁を越えて2回にわたって福島第一原発を襲い、万一の際には海水を使う冷却システムに電源を供給するはずの非常用ディーゼル発電機が機能を喪失。原子炉内の温度は急上昇し、2800度を超えた。
燃料棒は融解したウランとなってその下にある原子炉圧力容器の底に落ちて突き破り、燃料棒、コンクリート、鉄、溶けた破片が交ざった放射性物質になった。3基の原子炉の溶解した燃料は、放射性物質を受け止め、拡散を防ぐように設計されていた原子炉格納容器の底に溜まった。
地震から8年。これだけの時間が経っても、東京電力はまだほとんど廃炉問題の核心に触れられていない。ただ、同社が3号機原子炉建屋の屋上から瓦礫を撤去したことで、今回の10分間の見学が可能になった。
筆者は巨大な半筒状の天井を見上げ、そこにあるものすべての大きさを把握しようとした。放射線レベルが高すぎて、ここに長居することはできない。吸入マスクの両側に付いている紫色のフィルターが素早く立てるパタパタという音で、自分の呼吸が速まっていることが分かる。
空間の向こうの端に見えるオレンジ色の巨大なプラットフォームは燃料取扱機だ。4本の巨大な金属製の足が、その構造物に動物じみた印象を与えていた。フレームの中央からは、細い鋼線でクロム製のロボットが吊り下げられている。見学の際には大部分がピンク色のシートで覆われていてよく見えなかったが、このロボットはマニピュレータと呼ばれており、瓦礫を切断したり、燃料棒を掴んだりする機能を持っている。このロボットは今後、この空間の中央にある深さ約39フィート(11.8m)の使用済燃料プールから、放射性の瓦礫を取り出すのに使われる予定だ(訳注:この作業は4月に開始された)。
これは東京電力が発電所の片付けに使用している数多くのロボットの1つに過ぎない。これこそ、筆者が2018年11月に日本を訪れた理由だった。人間に想像できる限りもっとも過酷な状況の1つで、ロボットがどのように使われているかを見るために。
日本政府は、原子炉の廃炉作業が完了するまでに8兆円の費用と40年の時間が掛かると見積もっている。日本原子力研究開発機構(JAEA)は、日本中の専門家が放射性の瓦礫を除去するための新たなロボットをテストできるように、付近に福島第一原発内部の状況をモックアップで再現した研究開発センター(楢葉遠隔技術開発センター)を整備した。
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