しかし原発が近づくと、金属製の柵で入口を閉鎖された事業用の建物や家屋が見えてくる。双葉町、富岡町、大熊町では、かつては栄えていた発電所に近い地域の住民に避難が命じられ、残された建物が閉鎖されているのだ。
富岡町では、2階建てのゲームセンターを飾るソニックの看板を見かけた。時間の経過と、放置と、津波がゲームセンターの建物を蝕み、2階の外壁は半分が崩落していた。
今では、これらの町はゴーストタウンになっている。
さらに道路を先に進むと、外側のガラスが粉々に割れてしまったトヨタカローラの店舗が見えてくる。その道路の向かい側には、政府が今も最終的な行き先を決められずにいる除染土が詰まった袋が積み上げられ、福島が今も厳しい現実に直面していることを意識させられた。
この風景は、津波に襲われた直後の状態そのままのように見えた。この地区の建物には、その後ほとんど人の手が入っていない。近くの洋品店には、服を着せた状態のマネキンがそのまま立っていた。
しかし状況は変わるかもしれない。日本政府は、警戒区域への日中の一時立ち入りを許可するようになった。われわれの滞在中にも、地元の新聞に一部避難区域への元住民の帰還が許可されそうだと書かれた記事が掲載されていた。
楢葉町にある、宿泊施設や研修施設を持つサッカー施設「Jヴィレッジ」の運営会社専務である小野俊介氏は、「福島に生まれたわれわれは、以前と同じようにここに住もうとしている」と述べ、「福島の外の人たちには、福島は普通の状態ではないという気持ちがある」と続けた。小野氏は、この地域に住むことには危険を感じていないと語った。
しかし、東京電力の渉外・広報ユニット国際室ロンドン事務所長(当時)の花岡正揚氏は、誰もが同じように思っているわけではないと話す。「彼らは医療や商業、企業などのサービスや、コミュニティの再生、放射線レベルの低下状況などについて心配している」と同氏は話した。
水蒸気爆発で1号機と3号機の上部が損壊したことで、発電所の周囲の土壌は放射性物質で汚染された。かつては公園のようになっていたこの発電所の周囲は、今では雨水が浸出して土壌を汚染したり、海に流れ込んだりするのを防ぐために、ほぼ完全に舗装されている。
東京電力は、3770万平方フィート(約3.5平方km)の面積がある敷地の96%では、通常のつなぎと使い捨てのフェイスマスクだけで歩けるようになったと誇る。
敷地を歩いているとき、筆者は桜並木が満開になっているのに気づいた。
筆者についてくれていた通訳はそれを見て、「あれが自然の力です」と言った。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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