Electronic Entertainment Expo(E3)から見たゲーム業界の変遷を振り返る第3回として、2001年から2003年までを紹介する。
開催数カ月前から不吉な前兆はあったものの、こぢんまりとして予約制となったセガのブースは、ファーストパーティーの地位を捨て、今やサードパーティーとなったセガの厳しい現実を表していた。「ソニックアドベンチャー2」などのタイトルで「ドリームキャスト」のサポートは続けられていたものの、すでにセガの関心のほとんどは違うところに向けられていた。つまり、Xbox向けの「ジェットセットラジオフューチャー」や「ガンヴァルキリー」、そして任天堂の新ハードウェアである「ニンテンドーゲームキューブ」向けの「ファンタシースターオンライン」といったタイトルである。
E3 2000では、任天堂はニンテンドーゲームキューブに関する発表を何ら行わず、人々を落胆させる結果となった。しかし、続いて日本で開催された任天堂スペースワールドは、多くの人にE3 2001で初めてお披露目されるであろう新ハードウェアとタイトルに対する期待を抱かせた。E3 2001で任天堂は、多くのファーストパーティーおよびセカンドパーティーのタイトルを、形態を問わず披露した。「メトロイドプライム」のトレイラーから、「ルイージマンション」「ピクミン」「大乱闘スマッシュブラザーズDX」「ウェーブレース ブルーストーム」「エターナルダークネス〜招かれた13人〜」、後に「Xbox 360」のローンチタイトルとなる「カメオ:エレメンツ オブ パワー」、そして「スターフォックスアドベンチャー」、さらに「スター・ウォーズ ローグスコードロンII」(発売が切望されていたスター・ウォーズタイトル3本のうちの1本。残りの「スター・ウォーズ ギャラクシーズ」と「Star Wars:Knights of the Old Republic」はPC版が展示されていた)の各プレイアブル版まで、多岐にわたっていた。
任天堂ブースに並んだ新ハードウェアはニンテンドーゲームキューブだけでなく、「ゲームボーイアドバンス」も発表されていた。しかし、2000年8月の任天堂スペースワールドで発表され、2001年4月には日本で発売済みであったこのハードウェアは、「Metroid IV」と呼ばれたタイトルの短い1場面ほどの注目も集めなかった。そのMetroid IVも当時はまったくひどい出来(ほとんどゲームボーイカラーレベル)に見えたが、これが後に秀作とされる「メトロイドフュージョン」であった。
MicrosoftもXboxのローンチタイトルを大々的に展示しており、なかでも最も注目を集めたのはリアルタイムストラテジーから1人称視点シューティング(FPS)へと変容を遂げたシリーズ1作目の「Halo」であった。多くの者がそのアクションや進化したAIのデモンストレーションを堪能する一方、フレームレートやほかの技術面に関して不満を漏らす者もいた。だが、いずれにせよHaloは、「DEAD OR ALIVE 3」や後に「Fable」となる「Project Ego」の初期バージョンのようなほかのローンチタイトルと同様に大きな注目を集めたのだった。
「PlayStation 2」の売れ行きも依然好調な中、ソニーは任天堂やMicrosoftから発売される新製品に後れをとるまいと、アナログモデム接続とブロードバンドの両方に対応したモデムによるオンラインゲームのサポートを発表した。さらに重要なのは、PlayStation 2は「ファイナルファンタジーX」「ジャック×ダクスター 旧世界の遺産」(ソニーブースのかなりを占めていた)、「グランド・セフト・オートIII」といった大作をそろえ、ソフト面でも充実していたことであった。
E3最優秀コメント:
「いいかい、ハードウェアビジネスから手を引けば、驚くほど資金に余裕ができるんだ。本当だとも。5億ドルもほかのことに使えるんだから。」
-Sega of America社長(当時)のPeter Moore氏。将来起こり得る事態に対するMicrosoftへのアドバイスと、ドリームキャストに5億ドルつぎ込めればという願望から
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