Electronic Entertainment Expo(E3)から見たゲーム業界の変遷を振り返る第2回として、1998年から2000年までを紹介する。
1998年、E3はアトランタに戻ってきたが、セガも非常に大きな発表を携えてE3に帰ってきた。「セガサターン」がかなりの不振に終わった後、多くの者はあることを考えていた。セガはいかにして立ち直るのか、あるいはそもそも立ち直れるのか、開発者とエンドユーザーに支持され得るハードウェアを作り出せるのか、と。そして1998年5月21日、セガは2つのイベントを開き、「ドリームキャスト」のお披露目をした。これこそ、Microsoft(Windows CE OS)、VideoLogic(PowerVRハードウェア)、日立製作所(CPU)とのパートナーシップの成果であった。日本では、セガの社長である入交昭一郎氏が壇上に立ち、ドリームキャストの技術力を実証するデモ数点のプレゼンテーションを行った(そのうち1つは、入交氏自身の頭部のリアルタイムレンダリングであった)。プレゼンテーション中にはBill Gates氏からのビデオメッセージもあり、自身とMicrosoftのドリームキャストへのサポートを誓うとともに、ドリームキャストがいかに革新的であるかを強調した。一方アトランタでは、Sega of Americaの社長であるBernie Stolar氏が同様のプレゼンテーションを行い、特に「バベルの塔」のデモを披露するとともに、北米での発売日が1999年9月9日であることを明かした。
大半の者はセガの新ハードウェアとそのアプローチに感心しているようであったが、懐疑的な目で見る者も依然多かった。その筆頭がElectronic Artsで、後にドリームキャストはサポートしないことを発表している。
任天堂とソニーもまた、ハードウェアに関する新たな発表を行った。任天堂は「ゲームボーイカラー」とその周辺機器の「ポケットカメラ」「ポケットプリンタ」を発表し、ソニーは、新コントローラの「DUALSHOCK」を同梱した、「PlayStation」の「新」パッケージを発表した。また、Nintendo of Americaから64DDに関する発表、あるいは最低限これに対する何らかの正式なサポートの発表も皆無だったことは、多くの者に、任天堂はこの周辺機器の将来性を疑問視していると勘繰らせた。
それまでの流れから、「ゼルダの伝説」の次回作は64DDで出されるはずであった。だが、E3で32Mバイトカートリッジのタイトルとして発表されたことで、64DDの北米での発売の望みはほぼ絶たれてしまった。ともかく、E3での「ゼルダの伝説 時のオカリナ」に対する圧倒的な好反応は、ドリームキャストの発表(とおそらくは、PlayStation向け「ファイナルファンタジーVIII」と、PC向け「ハーフライフ」のほぼ完成版)以外を蚊帳の外にしてしまった。その過熱ぶりはすさまじく、大量注文に応えられる十分な生産が可能なのか、とマスコミが任天堂に繰り返し質問するほどであった。
E3最優秀コメント:
「われわれは前より利口に、前より賢く、そして前よりタフになった。次に勝つのはわれわれだ」
-Sega of America元社長のBernie Stolar氏。BusinessWeekでのインタビューにて
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