Microsoftの最高経営責任者(CEO)Steve Ballmer氏は1年前の米国時間2008年2月1日、Yahooを買収する意向を全世界に向けて発表した。
しかし数カ月に及んだ交渉にもかかわらず買収契約は成立せず、Yahooの多くの株主を失望させ、Jerry Yang氏からCarol Bartz氏へという同社CEOの交代劇を促す結果となった。しかし1年前のある日、Yang氏がまったく逆の立場に立ち、Microsoftの申し出をYahooに受け入れさせていたとしたら、どんなことが起こっていただろうか。
もちろん、実際にどのようなことが起こったかを知ることは不可能である。しかし、第二次世界大戦でナチスドイツと大日本帝国が勝利を収めた世界を描いたPhilip K. Dickの小説「高い城の男」のように、思考実験を行うことで何かが明らかになる可能性はある。
そこでYahooが交渉によって、例えば当初の1株当たり29ドルという買収価格を31ドルまで引き上げた後に、Microsoftの買収計画に同意したと仮定してみよう。
最初に問題となったのは、独占禁止法に基づく承認だっただろう。しかし米司法省は、不調にあえぐYahooのGoogleとの検索広告取引ではMicrosoftの肩を持ち、Googleの力を確かめることにより大きな関心を示していた。
Microsoftに対して米国以上に強い反感を示していた欧州連合(EU)も、Googleの力には大きな脅威を感じ、それを破棄させただろう。MicrosoftがOSにウェブブラウザをバンドルしている問題に、EUが今ようやく取りかかっていることを考えれば、「Microhoo」に関して大きな悔恨に見舞われるのは2015年以降のことだろう。
従ってMicrosoftとYahooは、おそらくそのハードルをクリアできたはずだが、それには時間がかかり、また考慮すべき細目がほかにもあることから、2008年8月に交渉が成立したと仮定してみよう。Yahooの株主たちは大量のMicrosoft株と、Yahooの現在株価である11.74ドルに比べてはるかに大きな金額を手にしていただろう。
確かに多少の不平不満は出ただろうが、Yahooの経営陣に対して公然と不満をぶつけていたすべての機関投資家をなだめることになったと思われる。特に、歴史修正主義であろうとなかろうと、2008年8月時点で景気はすでに下降局面に入っていたため、Yahoo株はあまり魅力的なものではなかったはずだ。
そこで次に控える大きな課題は統合である。それはSun Microsystemsの元CEO、Scott McNealy氏がHewlett-Packard(HP)とCompaq Computerの合併に関して述べた有名な言葉のように、まるで2台のゴミ収集トラックが衝突するのをスローモーションで見ているようなものだ。
競合する、長年温めてきたプロジェクトを好む幹部たちは競い合い、自慢し合い、率直な評価によって他人のプロジェクトを排除しようとしただろう。また、Brad Garlinghouse氏の「Peanut Butter Manifesto」に書かれていたように、Yahoo内部にはすでに十分な数の互いに競合するプロジェクトが存在していたのである。
しかしMicrosoftは実際にHPとCompaqの合併を、Microhooを実現するための例と見なしていた。ばらばらで、互換性のないことが多い資産を統合するという骨の折れる作業に取り組むよりも、1つの製品を選び出し、その製品でやって行こうというものだ。そのため、Microsoftがそれにふさわしい機敏さを持ってYahooの買収を処理したであろうことは疑いない。
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