Mims氏は、米国小児科学会から発表された「幼児・児童とスマートフォン(やタブレットなど)との接触を制限すべき」という内容のレポートを紹介する話の枕として、先述の自分の例を持ち出している。液晶画面のブルーライトが大人の場合でさえ睡眠の妨げになるといった話は随分前から話題になっているので、それを考えると「年端もいかない子供達にはなおさら厳しく……」というのは確かに筋が通っているようにも思う。
ただし、そんな提言が果たしてどこまで説得力を持つのか、実行可能なのか。その昔、地下鉄の車両のなかで赤ん坊が泣きやまずに途方に暮れた覚えのある私としてはそんなことを思わざるを得ない。その当時にスマホが手元にあったら、確実にそれを手渡して泣きやんでもらおうとしていたはずだ。そうしてまた、KIROBO miniのような賢いロボットがあれば、子供の発育に悪影響を及ぼしかねないスマホやタブレットではなく、具体的な形をとったロボットのほうを手渡していたはずだとも思う。
もうひとつ、パーソナルアシスタント(もしくはパーソナルコミュニケーター)という存在を考える上で忘れたくないのが、持ち主にとって「捨てるに忍びない存在」になったソニーの「AIBO」の例。メーカーのサポートが終わった後もAIBOを(時には修理しながら)大切に飼い続けるユーザーの話がこれまでテレビや新聞などでも何度か報じられていた。
計15万台以上販売されたというAIBOのなかで、果たして何台くらいが今でも生き残っているかは分からない。ただ、無機物であるAIBOに対して飼い主がそこまで深い愛着もしくは愛情を抱く理由はいったい何なのか。この疑問の答えを探し続け、その答えを踏まえながら有形のパーソナルアシスタントを作りつづけていくというアプローチは、今のところソフトウェア=AIの「賢さ」をめぐる競争に終始しているようにも感じられるGoogleやAppleのそれとは明らかに違うものになるだろう。
無論、有形にせよ無形(あるいはスマートフォンやスピーカーのような静物)にせよ、パーソナルアシスタントにある程度の賢さがなくては、ユーザーにとって「最も身近な存在」になるのは難しいだろう。またとくに有形のパーソナルアシスタントが持つはずの長所――いわゆるノンバーバル(non-verbal:非言語)な要素――も、日本以外の企業には実現できないわけでもなかろう。
ただ、例えばユーザーが幼い頃に知り合ったパーソナルアシスタントとともに成長したり、一生の間に何度かハードウェアを取り替えながらも、自分用にカスタマイズされたAIとはずっと一緒に年齢を重ねたりする姿をイメージしてみよう。すると、その器となるハードウェアのほうは、現在のスマホのようにわざわざ2~3年ごとに買い換える必要もなくなるのではないかとも思える。
ここから「Appleのビジネスモデル崩壊」という予想を導き出すのは少なくとも現時点では牽強付会だろうが、そんな可能性も含むはずの製品を何食わぬ顔で出してくるトヨタという会社の怖さに、改めて舌を巻かざるを得ない。この冬に発売されるKIROBO miniの当座の性能がどの程度のものになるかは分からない。しかし、いずれはそんな怖い存在になるよう、長期的な視点に立って、あの小型ロボットを育ててもらいたいなどとも感じる次第である。
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