(編集部注:「Macintosh」発表から30年に際して米CNETが公開した特別記事を前編と後編の2回に分けて翻訳して公開します。後編は1月29日に公開されています)
その日は米国時間1984年1月24日と決まった。「Macintosh」(Mac)のコンセプトを伝えるRidley Scott監督のテレビコマーシャルを、スーパーボウルのWashington Redskins対Los Angels Raiders戦の試合中に放映した2日後にあたる日だ。Steve Jobs氏は、自らがAppleによる「すべての人のためのとてつもなく素晴らしい」パーソナルコンピュータと呼ぶものを発表することになっていた。
その日までの道のりは平坦ではなかった。同社の旗艦製品「Apple II」の売れ行きは好調だったが、「Apple III」は失敗しており、1983年6月に発売された「Lisa」に1万ドルを払おうという企業はほとんどなかった。
そのうえ、IBMという巨大な脅威が迫っていた。同社はパーソナルコンピュータ市場には比較的後から参入したが、勢いを増しつつあった。IBMとPCクローンメーカーが1983年に販売したPCは100万台以上に及ぶ。Apple IIのおよそ3倍にあたる販売台数だ。PC向けスプレッドシードソフトウェアの「Lotus 1-2-3」が、1983年に5000万ドルという売上高(当時のコンピュータソフトウェアとしては膨大な額)を記録したことで、コンピュータがホビーストのための装置から、主流のビジネスツールへと姿を変えつつあることが改めて示された。Appleにとっては不本意だが、そうしたコンピュータの大半を販売していたのは同社の宿敵だった。
Appleを、そしてJobs氏の見方によれば、人類をIBMの支配から救い出せるかどうかは、Macintoshにかかっていた。いろいろな意味で、Macはすでにその使命を果たしている。「iPod」や「iPhone」「iPad」が登場するまで、MacはAppleを特徴付け、力を与える存在だったからだ。そしてMacの最新モデルは今でもApple製品の重要なメンバーである。Appleがパーソナルコンピューティングのメインストリームで成功する一方で、IBMは別の方向へ進んでおり、同社にかつてあったPC部門は中国のLenovoに売却された。
とはいえ、Appleは一夜にしてこの成功をなし得たわけではない。
発売日が近づくなかで、Steve Jobs氏と、同氏が率いる自称海賊集団には、やるべき作業がいくつも残っていた。その1つが、彼らは飛ぶように売れるような製品を作り出したのだということを、販売担当者に納得させることだ。Jobs氏は1983年10月23日にホノルルで開催された販売会議で、今では有名となったコマーシャル「1984」の試写を行い、コンピューティングの未来を守るためにIBMと戦うことを、Appleの使命として位置づけた。
「そして1984年だ。IBMはすべてを望んでいるようだ。Appleは、IBMと互角に戦える最後の希望と言われている。当初はIBMを喜んで受け入れていた販売業者も、IBMが独占し支配する未来を恐れるようになった。未来の自由を保障してくれる唯一の力として、Appleに目を向けるところが増えてきている。IBMはすべてをその手中に収めようと、業界を思い通りに動かすための最後の障害であるAppleに狙いを定めた。IBMがコンピュータ業界全体を、そして情報化時代のすべてを支配してしまうのだろうか。George Orwellが描いた1984年は正しかったのだろうか」(Jobs氏)
Jobs氏はこの販売会議で、テレビの人気クイズ番組を模した「デートゲーム」という寸劇を行って、サードパーティーソフトウェアの開発者のサポートについても宣伝した。Jobs氏がクイズ番組の司会者役になり、MicrosoftのBill Gates氏とSoftware PublishingのFred Gibbons氏、Lotus DevelopmentのMitch Kapor氏が、「Macintoshと初めてデートしたのはいつか」「あなたにとってAppleとの理想の関係とは」といった質問に答えた。Gates氏は、Microsoftの1984年の売上高の半分がMacintosh向けソフトウェアによってもたらされると予測した。
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