カリフォルニア州マウンテンビュー発--「Macintosh」が前途洋々のデビューを果たしたのは、ほぼ30年前のことだ。1984年1月24日、当時29歳だったSteve Jobs氏がステージに立ってかばんからMacを取り出し、3.5インチフロッピーをディスクドライブに差し込むと、映画「炎のランナー」のテーマが流れ始めた。沸き立つ観衆に向かって、現実の1984年が小説「1984」のような世界にはならないと示した瞬間だった。
だが、そのデビューから半年足らず前に、Macは深刻な問題を抱えていた。世界を変えるとJobs氏が望んだコンピュータに使われていたのは5.25インチのフロッピーディスクドライブで、これはエラーが多く信頼性が低かったのである。この、いわゆる「Twiggy」ドライブ(1960年代、細い体つきで有名だったファッションモデルにちなんで名付けられたという)は、Macの前身として1983年6月に出荷されたばかりの「Lisa」にも搭載されていたが、Macとは違い、Lisaの記憶媒体はフロッピードライブだけではなかった。1万ドルのワークステーションコンピュータだったLisaには、5Mバイトのハードディスクも搭載されていたからである。フロッピーに関する解決策が見つからなければ、「Twiggy Mac」は発表が大幅に遅れる運命にあった。
Appleは1983年8月、新しい3.5インチのマイクロフロッピーディスクドライブに目を付ける。容量は400Kバイト、製造していたのはソニーだった。Jobs氏は当初、Apple社内でドライブを製造したいと考えたが、出荷までに18カ月かかると判明した時点で、この考えを断念。こうして、Twiggy Macは歴史にその名をとどめるだけの、極めて貴重な存在となった。
2013年9月11日、最初期Macチームのメンバーがコンピュータ歴史博物館に集い、Apple史に残るこのエピソードを振り返るとともに、時を経た2台のTwiggy Macが稼働するところを見守った。実行されたのは、Macと同時に世に送り出されたワードプロセッサソフトウェア「MacWrite」と、ペイントソフトウェア「MacPaint」のアルファバージョンである。このイベントを企画したのは、Apple草創期の社員の1人だったDan Kottke氏と、Mac用ソフトウェア企業Encore Systemsの元プレジデントGabreal Franklin氏だ。
Apple6番目の社員Randy Wigginton氏が率いたMacWrite開発チームも、同ソフトウェアを起動するために参加した。「情熱を持って取り組んだ仕事だ」。Macの開発についてWigginton氏はこう語っている。
Steve Wozniak氏は、Macの開発に直接は関わっていなかったものの、今回の集まりでは注目の的だった。「古いプロトタイプや初期のマシンを見るのは大好きだ。でも、当時そこにいた人々の方がずっと意味のある存在だし、その思い出も大切だ」(Wozniak氏)
参加者の中には、Jerry Manock氏とTerry Oyama氏の姿もあった。Macの独特の筐体とマウスを設計したメンバーである。Manock氏は、自分のチームがMacの熱特性をテストするために、透明なプラスチックケースをクローゼットに置き、お香をたいて煙の循環を調べたときの様子を説明した。
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