今、ゲーム業界では、VR(バーチャル・リアリティ)というキーワードが急上昇しています。VRという言葉自体は決して目新しいものではありません。では、なぜ改めて、今このVRというキーワードが注目を集めているのでしょうか?
その理由としては、3月よりOculus VR社が開発・発売している"Oculus Rift(オキュラス・リフト)"と、10月にソニー・インタラクティブエンタテインメントから発売予定の"PlayStation VR"という2つの存在が大きいといえます。
この2製品が出そろう2016年末商戦を境に"VR元年"が幕を開けるという見方をしている関係者も少なくありません。
かつても"VR元年到来か?"と語られていた時期があるのですが、今回こそ、本当の"VR元年"となるのではと期待されています。
ところで、これらの製品は、ゲームにおけるVR体験を可能にするHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)というものなのですが、対応するゲームソフトの開発においては、実に多くのゲーム会社が名乗りを上げています。
今年3月にサンフランシスコで行われた、世界各国ゲーム開発者が集う国際会議であるGDC(ゲームデベロッパーズ カンファレンス)においても、その会場内は、VR一色に染まっていたと言っても過言ではありません。
まさにその熱狂は"VR元年"の前夜を予感させるものでした。「ファミ通ゲーム白書2016」(2016年6月15日発売 )の取材の中でも、業界でのVRへの期待は高く、多くのクリエイターがその可能性に魅力を感じていることが分かりました。
しかし、一方で懐疑的な見方をしている関係者がいるのも事実です。一時期、TVディスプレイの業界において"3Dテレビ"というものが売場を席巻していた時期がありましたが、結果、かなり限定された市場の枠に留まり、現在のマーケットの主流においては見る影もありません。
それになぞらえ、今回も熱狂に終始し、マーケット自体を形成できないのではないか?と見ているのです。
VRというキーワードが注目されている今日、皆の関心は本当にマーケットを造りあげていくのか?、VRに投資を加速すべきなのか否か?"VR元年"は本当に来るのか?というところにあるような気がしています。
全否定する関係者は少ないとはいえ、勝負に出るのか、慎重であるべきなのか、はたまた静観するのかと意見が割れているように思えます。
それらの疑問に対しての答えは"神のみぞ知る"なのですが、1つ言えることとしては、VRの流れ自体はもう止められない大きな波となっているということです。
その理由として筆者は大きく3つの要素に注目しています。
1つ目は、テクノロジーの環境がそろってきているということ。VRの後ろには"AR(拡張現実)"や"AI(人工知能)"といった関連技術が控えていますし、主に視覚にフォーカスを当ているHMDですが、触覚や力覚などより、さまざまな感覚を駆使した"マルチモーダル・インターフェース"も、その後ろには控えているわけです。
2つ目は、バックグランド環境として高度に発達したインターネットを軸にしたクラウドシステムと、そこにアクセスできる端末の普及が挙げられます。アクセス端末としてのスマホの普及は、結果としてSNSや動画共有サイト等によるコミュニティーグループを造りあげることを可能にしました。
コミュニティーでは、新たな吸引力となるであろうVRの機能を求めています。この環境下においては、VRの親和性が高く、逆にインターネットの無い世界でVRを投入してもなかなか厳しいものがあったかもしれません。
また、スマホの普及は副次的にVRに必要な部品の低価格化に貢献した面もあることを付け加えておくべきでしょう。
そして、3つ目の理由としては、VRを欲しているのはゲーム業界やエンタメ業界だけでは無いということです。医療や建築、様々な分野でVRの実用化は待ち望まれています。
しかし、一方で他分野で切望されているからこそ、エンターテインメントの分野で、とりわけ双方向エンタメであるゲームの世界では、他分野に先駆けてその技術が普及しやすいのです。逆説的な見方ですが、他分野で普及が見込めるなら、牽引分野であるゲーム業界で普及は避けられないということです。
VRの流れ自体が止められない以上、あとは"VR元年"がいつなのか、それがなだらかなのか、急激なのかという違いのように感じています。
この記事はビデオリサーチインタラクティブのコラムからの転載です。
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