誰のためのフリーか?--ユーザー中心のフリー・ビジネス・デザイン新論 - (page 3)

ユーザーセンタード視点からのフリー

 しかし、バズワードに惑わされてはいけない。行動ターゲティングやSEOはツールでしかなく、「マスからセグメントへ」というパラダイムシフトをすべてカバーできない。若干、効率面でのハードルを下げる役割を果たすだけだ。

 読者のみなさんの日常生活に置き換えて考えてみればいい。通勤途中で目に入ってくる広告が常にあなたの社会経済属性や行動履歴に沿ったものだからと言って、あなたの行動や嗜好に変化が起こるだろうか? 過去の行動履歴から現在利用している製品からのブランド・スイッチを目したメッセージを唐突に示されても、それはマス向けの広告とどう違うといえようか。間違ったセグメントへの意味付けをしているだけであり、目が細かくなっただけで、マス向けのマーケティングの発想から抜け出ていないといってもいいだろう。そんなレベルでは、フリービジネスモデルのデザインはできないといってもいいだろう。

 なぜならユーザーは変化を望んでいない。いや、むしろ、変化を恐れている。それでも変化を受容してもいいと感じられるほどに、行動ターゲティングであろうとなかろうと優れた提案が必要なことには間違いない。

 逆にいえば、僕らは消費者として細々としたコストを支払った上で、何らかのサービスや商品を購入している。もし、ユーザーのそんな細々としたコストを減らしてくれるのであれば、変化を不連続面として認知しないように導くことが可能であれば、フリービジネスのリスクは大幅に軽減され、フリービジネス自体が成立するようになるだろう。正しくセグメントを設定し、そのセグメントの内的なコスト因子を排除する=ユーザーを日常の拘束からフリー(自由)にすることが重要なのだ。

 販売促進キャンペーンでは、商品購入するために販売店舗や対応した販売機を見つけ出すために大きな検索コストが発生する場合がある。ディスカウントなどのクーポンを利用するために複雑な手続きを踏まされたり、キャンペーンへの応募のために必要以上な付加コスト(ラベルを集めるて、剥がれないよう台紙に張り付け、郵送する、など)を当然のごとく求めることがある。

 過去、まだ商品ブランドがマス・レベルで高い地位を占めている時代はそれでよかったろう。それが、一つの消費のための物語になったから、よかったのかもしれない。しかし、容易に異なる消費を選択できる現在、サプライサイドの論理ではユーザーはなびかない。それでもなお、ユーザーのコストが不可避なものも数多くある。それを軽減すること=付加的なコストからフリー(解放)することこそが求められているのだ。

 その一つの解法としてコンテンツの活用がある。コンテンツにメッセージを含ませ、そのストーリーに沿って行動しやすくなるガイドラインを提示する、あるいはそう行動するように動機つけること(コンテキストの提供)で、コストをコストと認識させない(認知負荷を軽減させる)ことが可能になっていく。

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