従来、メディアは供給者の制約条件と意志によって垂直統合された状態で提供されてきた。今やその立場は逆転し、ユーザーを起点としたメディア/コンテンツのデザインが求められている。それはインターフェースの在り方だけではなく、深くその構造にまで到達する運動論になっていくだろう。
マーケティングの教科書では、第1章(あるいは比較的前半に)に必ず「4P(Product:製品、Price:価格、Place:流通、Promotion:宣伝)」というフレームワークが掲げられている。そして、この4つのPが相互作用しながら、その製品の成否を決定するという議論がなされている。しかし、このシンプルかつ強力なフレームワークが故に、万能ではないという直感も、多くの読者にはおありだろう。そう、特に消費者向け製品では、一度でも価格を落とせば、消費者心理から他の3つのPをいかに操作したとしても、おいそれとは元に戻せないのは自明だからだ。
さりとて不況故に価格低下策で販売数を確保しない限りは、屋台骨の維持すら危うくなる企業は多い。そのため、製品原価の見直しや製造過程の効率化、間接費の圧縮などの経営努力は必須となり「背に腹変えられない」事情によって、「なければ売れなくなるかもしれない」という恐怖感が支えてきた広告費の低減が進んでいる。
そして、前述の通り、消費者価格そのものが下がりつつある。結果、再び経済が持ち直したとしても、これまでと同じプライス感・ボリューム感で既存のメディアへの広告出稿がなされる可能性は低いと考えていい。なぜなら、その原資は消費者価格の引き下げに割り当てられてしまったからだ。
もし、戻ってくる例外があるとしたら、既存メディアに何らかの付加価値や効果保証などが付加される場合が考えられるが、いずれにしてもそれなりの努力と変化なくしては得られない結果に違いない。
加えて、広告主たちはこの情勢を一時的な経済の不調の結果とみておらず、経済そのものの構造的な変化としてこの不況を見ている。前回のエントリ「生活圏情報生態系をリデザインせよ:壊れつつある日本」で示した通り、依然として従来と同じ構図のまま、漠然と「ものづくり」という抽象度が高く具体性に欠くコトバを盲信し、前世紀型の製造業を中核とし続けたこの国のしくみが壊れつつあることを、ついに認めたといっていいだろう。そして、その方向性と出口までの奥行き感は依然として明らかではないものの、「変化」への覚悟は経済界を中心に固まりつつある。
一方で、残念ながら日本の政治の世界にはその「変化」気配すら感じられない、と感じる読者も多いことだろう。米国オバマ政権がライバルさえ登用する人事でドリームチームを組成し、急速な経済回復策を打ち出していることとの差は、情けないほどに大きい。
直感や感情論とは異なる、科学的・理論的蓋然性を備えた政策を立案・選択し、周囲を説得しながら実行へと移す能力の欠如が著しい(日本のメディア・ジャーナリズムの状況はさらに深刻で、影響力を持つ彼らは政治家の「正しい活動」の範囲を狭めている)。
「政局よりも、政策(と、その実施)」という、自明であり王道となる魅力作りに与野党ともに何故回帰できないのか?このままでは、自民・民主ともに勝者なき総選挙に突入することとなり、更なる混迷と暗黒の時代が訪れることは明らかだ。そして、そこに光を呼び込める実力を有するのは既存プレーヤーの誰でもないことは、すべての国民には分かっているのだが……。この現実に気付かない彼らには、もうすでに舞台はないのに。
故に、規模を問わず「目を堅く瞑り、耳を塞ぎ、鼻を摘んで、じっと嵐の過ぎるのを待つ」という姿勢を示すプレーヤーには、息を次に吸い・吐く機会すら訪れない可能性も高い。それは、構造的な変化=パラダイムの変革であり、当事者だけではなくその周囲をも巻き込んだ時代の相転移ポイントとして記憶されるであろう規模のものだからだ。
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