前編に引き続き、2010年代の仮想現実(VR)と拡張現実(AR)を振り返る。
2015年1月、Microsoftの本社に何人かの記者が招かれ、「HoloLens」と呼ばれるミステリアスな新デバイスのデモが行われた。この最初のデモでお披露目されたのは(写真や動画の撮影は禁止されていた)、閉じられた世界を映すVRヘッドセットではなかった。そのデバイスは、現実世界にホログラムのようなものを投影した。
MicrosoftのHoloLensは、「Oculus VR」や「Google Glass」と比べても飛躍的に進歩した、野心的な新たな取り組みに見えた。それまでは不可能のように思えていた、PCへの接続が不要なスタンドアロンのヘッドセットを実現していた。Microsoftは、ARとVRを組み合わせた技術であるHoloLensを説明する言葉として、「複合現実」という用語を使った。このデバイスを見て、私たちは不意に、VRの魔法が日常生活を大きく変えてしまうのではないかと考えた。こんなに突然、未来が訪れることなどあり得るのかと。
Microsoftは2015年のE3で、「Halo」や「Minecraft」などの自社製品を使って、すぐにもホログラフィを使ったゲームが実現できるかのような発表を行った。しかし後に、HoloLensの価格が数千ドルであることが分かり、一般ユーザー向けではないことが明確になった。筆者がその後にしたいくつかの経験(例えばニューヨークの街中で「スーパーマリオ」をプレイするなど)は、酷いところもあったが魅力的で、その際にはHoloLensが完全には現実と融合していない部分も見えた。視野も狭かったし、仮想オブジェクトは現実のオブジェクトと重なっていたりした。そして、これらの「ホログラム」は、ディズニーランドの幽霊のように半透明に見えることも多かった。
一方で、同様のアイデアを掲げる別の会社であるMagic Leapは、2014年から秘密裏に多くの資金を集めていた。またこの年、HTCとValveは、Oculusの対抗製品である「Vive」を発表し、「スタートレック」のホロデッキのような体験を実現した。対するOculusは、新製品の「Rift」向けに、別世界で自分の手を動かしているかのように感じられる新機軸のコントローラーを発表した。さらに2015年のVRは、筆者に涙を流させた。それは国連との協力で制作された、シリア難民をテーマにしたVR映画だった。VRで放送された民主党の大統領候補者の論戦を視聴しようとしたこともあった(そして途中で断念した)。およそ考えられる、あらゆるVR製品が、この次の年に発売されようとしていた。突如として、VRからは逃れられないと感じるようになった。
この年、VR界は飽和状態になった。Oculus Rift。HTC Vive。「PlayStation VR」。「Google Daydream」。数多くの手頃な価格のWindows互換VRヘッドセット。筆者が2016年について覚えているのは、あらゆる方向から押し寄せるVRの波に揉まれながら、必死でついていこうとしていたことだけだ。オフィスにホロデッキを設置し、VRデバイスをバックパックに入れて持ち帰り、自宅で接続してPlayStationにダイブした。VRは未来だった。Oculusの創業者であるPalmer Luckey氏が、TIME誌の表紙を飾った。筆者は、タイムズスクエアに設置されたテーマパークで、バーチャルなゴーストバスターになったりした。
期待の熱は限界まで高まった。いくつかの体験は、信じられないようなものだった。筆者は世界中のゴーグルを実際に着けて試した。そのほとんどは動作させるのにPCが必要で、多くのハードウェアは、使用するにはソフトウェアにパッチを当てねばならず、複雑な設定作業や忍耐力を必要としたが、筆者はVRの世界にダイブして、新しいアプリで不思議な驚きを発見するのを楽しんだ。過去最高のVRゲームの多くはこの年に生まれた。「Space Pirate Trainer」「Fantastic Contraption」「Job Simulator」などだ。
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