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「五感の一つを丸取りする」--Voicy緒方氏が“音声”に辿り着くまで

藤井涼 (編集部)2019年03月26日 11時30分
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 LINEやGoogle、Amazonなどから、音声操作ができる「スマートスピーカー」が発売されたのは2017年。それから1年以上が経ったが、国内のスマートスピーカーの普及率はいまだ約6%と1割以下(電通デジタルによる2018年12月調査より)に留まっており、この数字は米国などと比べても圧倒的に低い。また、その理由については「発声の恥ずかしさ」「音声認識精度」などよりも「利用したいことがない」「何ができるのかよく分からない」といった意見が多く、現状の音楽再生や天気予報など、スマートフォンの置き換えにすぎない機能だけでは魅力に感じない人が多いことがうかがえる。

 「日本ではこのまま音声(ボイス)市場は広がらないのだろうか」と悲観的な声も聞こえてきそうだが、この状況を大きく変えようとしているのが、ボイスメディア「Voicy(ボイシー)」の運営や、音声配信インフラの構築を進めているVoicyだ。同社は1月に日本経済新聞と提携し、ビジネスや経済金融分野において、新たな音声情報サービスやコンテンツを共同制作することを発表。また2月には、TBS イノベーション・パートナーズや電通イノベーションパートナーズ、中京テレビ放送などから約7億円の資金を調達した。さらに、3月26日には朝日放送グループのABCドリームベンチャーズや、文化放送などから約1億2000万円を調達したことも発表した。

Voicy代表取締役CEOの緒方憲太郎氏
Voicy代表取締役CEOの緒方憲太郎氏

 いまでこそ音声サービス企業として勢いに乗っているVoicyだが、創業者である緒方憲太郎氏が同社を設立したのは2016年2月。なぜ、世界的にもまだ音声サービスが普及していなかった3年も前からこの領域に注目していたのか。公認会計士やスタートアップ支援、さらには地球2周の旅など、自身のキャリアの中でいくつかのターニングポイントがあったと語る緒方氏に、「音声」に辿り着くまでの歩みをじっくりと語ってもらった。

公認会計士は「つまらなかった」

——緒方さんがVoicyを立ち上げるまでのキャリアについて聞かせてください。最初はどのような仕事をされていたのですか。

 大学を卒業した23歳の時に、公認会計士になろうと思いました。色々な会社の内情を知りたいと思っていたのですが、そのために1社ずつ転職し続けるのは無理だろうと思い、たくさんの会社に行ける仕事は何だろうと考えたら公認会計士だったんですね。それから2年後の25歳の時に公認会計士になって、4年間ほど新日本監査法人にお世話になって、大企業から数人の小さな会社まで100社くらいを担当しました。

——実際に公認会計士なってみていかがでしたか。

 それが、めっちゃつまらなかったんですよ(笑)。色々な会社を見に行けることや、その内情を知れることは楽しいんですけど、知的好奇心は満たされるものの仕事としてのクリエイティブが全然なくて。会社という事実があって、結果としてまとめている会計があって、その会計が正しいかどうかをチェックするのが監査なんですね。しっかり見れば見るほど嫌がられて、ほとんどの内容が正しいと言うための資料をずっと作っていたんですが、そこにクリエイティブはなくて、さっさと仕事を終わらせたもん勝ちみたいな感じだったんです。

 僕はどちらかというと人と同じことをするのはそんなに得意じゃないし、きっちりかっちりすることも得意じゃなくて、「緒方だからこそできること」みたいなことが元々好きだったので、いつの間にかFXを勉強したり、合コンに行ったりと、仕事は仕事でこなして、アフターの時間を楽しむところに力を入れてしまうようになっていきました。

——仕事にやりがいを持てず、プライベートの方が楽しくなってしまったと。そして公認会計士を辞めたんですね。

 仕事ってそんなもんだと思っちゃったんですよ。仕事を通じて当時は「ちょっと物事が知れたら楽しい」くらいのことしか分からなくて。ただ、さすがにこのままだとちょっとまずいなと思って、もっと色々なものを見ないといけないんだったら、自分の時間を何か別のことに使おうと思って、休職して地球を2周ぐるぐる回ったんですよ。

米国で経験した「ゼロイチ」の数々

——世界1周はよく聞きますが、2周も回られたんですね。

 そうなんです。この旅が結構、人生のターニングポイントになっているのかな。色々な国の語学学校に行きながら現地に住んでいたのですが、米国のボストンに行った時に、ハーバード大学やMITの優秀な人がたくさんいて、日本人の仲間たちもできました。そして、その時に東日本大地震が起きたんです。

 ハーバードの皆と集まって、何かできることはないかと考えた時に、医者のメンバーたちから「自分たちは研究のために米国に来ているけれどまだ患者がいない。日本の医者は担当患者がいて(被災地に)すぐに飛び込むのは難しいと思うから、自分たちが助けにいける方法を考えてほしい」と相談されたので、そのためのNPO組織を作りました。日本医師会にどこに何が足りないかを聞いて、JALと交渉して渡航代を無料にしてもらったり、レンタカーやホテルを用意したりして、(米国にいる医者が)「行きたい」と言ったら次の日に行ける仕組みを作ったんですね。この仕組みは1年間で閉じたんですが、その間に20人以上の医者を日本に送ることができました。

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 そこから、「緒方はゼロイチ(ゼロから新たな価値を生み出すこと)ができるんじゃないか」という話になって、ボストンで「Video Game Orchestra(ビデオゲームオーケストラ)」というオーケストラのマネージメントをやってくれと頼まれたんです。「いや、旅の途中やねんけど(笑)」って感じだったんですが、やったことはないけれど引き受けました。

 ボストンのシンフォニーホールという2000人以上が入る会場でやるオーケストラの全体的なマネージングをやることになって、ミュージシャン100人に対してビジネスマンは僕だけという状況で、1人で予算表を作って、資金繰りを考えて、足りない分はクラウドファンディングで集めるみたいなことをして、なんとか成功させました。もうイベントビジネスは2度とやりたくないですね(笑)。

——米国にいる間に、立て続けに「ゼロイチ」を経験されたんですね。

 その旅で新しいことに挑戦する方が楽しいなと思うようになりました。僕が米国でやってきたことは、60点を取れるやつが普通いないという世界の中で、誰もやり方も分からないところから60点まで持っていくという経験をしてきたんですよね。そこ(ゼロイチ)はめちゃくちゃ得意だってことが分かりました。

——なぜ、緒方さんはゼロイチへの挑戦でいつも「60点」を取れたのでしょう。

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