2018年の夏はとても興味深いものだったと言えるかもしれない。そして、私はこの夏を二度と体験したくない。
私はAppleに対し、企業として、そしてその経営手法に、非常に批判的な見方を常にしてきた。だが、この8年ほどの間で、同社に対する気持ちは、完全な嫌悪感から、使いやすさを認めるまでに落ち着いた。「iPhone」と「iPad」を日常的に使用し、いやいやながらも「Mac」を時々使うようになったからだ。
多くの消費者はAppleの製品に対して献身的な情熱を抱いているが、私にはそれが理解できなかった。確かに、私は同社の製品を使っていたが、こうした分野のことについて文章を書く人間として、あらゆるモバイルテクノロジプラットフォームについて知っておかなければならないという気持ちから使っていたにすぎない。
私はiPhoneと「Android」端末の間を、大方難なく行ったり来たりして使っている。「iPad Pro」とMicrosoftの「Surface」についてもほぼ同じだ。これらは、自分の仕事を成し遂げるために必要なツールなのだ。
Appleへの忠誠心や何らかの感謝の気持ちを抱いたことは一度もない。むしろ、私は一貫した批判者だった。
話は1月にさかのぼり、そのとき、私はスマートウォッチが必要だと判断した。
「必要」というのは大げさすぎる表現かもしれない。単純にウェアラブルを試してみたいと思ったのだ。友人たちは皆、ウェアラブルを使っており、私はどんなアプリが利用できるのかに興味を持った。
そこで、42mmの「Apple Watch Nike+ Series 2」の整備済製品をアップルのオンラインストアで購入した。
私は、実験的なアクセサリ製品であり、買ったばかりの目新しさが薄れたら引き出しにしまいこんでおく可能性が高いと考えていたこのデバイスを、定価で購入するつもりはなかった。
最初の数カ月は、まさにそのように思っていた。私の使い方だと、Apple WatchはiPhoneの通知以外、ほとんど価値が感じられないアクセサリだった。興味深く、役に立つこともあるが、必需品ではなかった。充電のために、1日おきに取り外さなければならないことにもいら立ちを覚えた。
私はApple Watchだけを使っていたわけではなく、サムスンの「Gear」で「Android Wear」OSも試していた。有用性に関して、これら2つのスマートウォッチはほぼ同じレベルであると感じた。
しかし、そうした印象は5月に一変した。
ほかの多くのApple Watchユーザーと同様、私も「Apple Heart Study」への参加の意思を尋ねる電子メールを受信した。Apple Heart Studyは、同社がスタンフォード大学と共同で進めている大規模なデータ収集の取り組みだ。
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