まずはこの話から片付けよう。「Oculus Rift」は素晴らしく、夢中になれる魅力的な体験であり、仮想現実(VR)が次の100年を大きく左右するテクノロジとなることはほぼ間違いない。だが、それはまだ先の話だ。
筆者が初めてVRヘッドセットを試したのは、10年以上前になるだろうか。潜水ヘルメットをかぶったまま卓球ゲーム「Pong」をプレーしようとしている感じだった。嵐の中でボートの上にいるような、深夜に酔っぱらっているような気分だ。
Oculus Riftは、最先端技術がどこまで進歩したかを示している。新しもの好きが集まったポストインダストリアルの倉庫(当然ながら、ロンドンの流行発信地であるショアディッチ地区からほど近い場所)で、Oculus Rift向けのゲームやその他の「体験」ができるツアーが開催され、筆者も参加してきた。
「Microsoft HoloLens」のような「複合現実」の場合、バーチャルな画像が視界のごく一部に表示されるだけだが、Oculus Riftでは自分がデジタル世界にすっかり包み込まれる。
いろいろな楽しさがある。Oculus Riftのヘッドセット(「野球帽のようにかぶる」のだそうだ)は、まだかなり重いが、長時間装着していられる程度には軽い。ヘッドセットをかぶったとたん、周りは完全に仮想世界になる。上を向いても下を向いても、辺りを見回しても、仮想世界が消えたりはしない。
画像は明るく鮮明で明瞭だ。首を振ったり、後ろを振り返ったりしても、ラグやVR酔いを感じることはなかった。
新しい「Oculus Touch」コントローラは、サイバーパンク的なぱちんこのようにも見えるが、手にとったときの感触はかなり快適で、ナビゲーションもインタラクションも直感的に行える。本物の両手が見えなくなるのだから、そうでなくては困るが。
展示されていたゲームの中でも、VRゲームの画期的な進歩として大々的に宣伝されているのが、「Robo Recall」だ。確かにとても楽しい。敵のロボットを撃つ(あるいは仮想の素手で破壊する)というのは、アーケードゲームで昔からあるが、それがVR向けにアップデートされている。
さらに面白いことに、10分か15分くらいプレーを続けているうちに、体の存在を忘れてしまった。仮想世界であちこちへテレポートしたり、背後に忍び寄る敵を振り向きざまに捕まえたりしていると、自分の本当の体がどっちを向いているか分からなくなる、というより、気にならなくなるのだ。
では、第1世代のハードウェアでこれほど見事な体験を得られるのに、売り上げが伸びないのはなぜか。
調査会社Canalysの数字によると、2016年の純粋なVRヘッドセットの販売台数は200万台程度でしかないという(サムスンの「Gear VR」やGoogleの「Daydream」などのビューアは除外されている)。その200万台のうち、40万台前後はOculus Riftとみられる(同社は販売データを公表していない)。
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