筆者が代表を務める戦略PR会社ブルーカレント・ジャパンは、8月をもって10周年を迎えた。これもひとえに皆様方のご支援の賜物である。
今回のコラムでは、この10年を経て現在思うところなどを書いてみたい。広告PRやマーケティング業界のみなさんはおそらくご承知のように、弊社の10年の歴史は日本における「戦略PR」の浸透とほぼ同義だといっていい。
欧米に100年は遅れているといわれる「PR」の新解釈。初めて知る、社会的ムーブメントの背景にある構造――「戦略PR=空気づくり」であるという提唱は、日本で初めて弊社ブルーカレントからなされた。
戦略PR導入の輪はグングン広がっていった。誰もが、「空気をつくりたいんです」と妙に晴れがましい顔で口を揃え、その顔には同時に「その手があったのだ!」と書いてあった。マス広告とプロモーション依存に偏っていた日本の業界の「覚醒」だ。
そして、2016年。戦略PRもといPRは、ずいぶんと日本でも浸透したように感じる。それはそれでパイオニアのひとりとして喜ばしいことだけれど、一周回って筆者の中にはあらためてひとつのクエスチョンが芽生えている。
――PRとは何か、PRの正体とは何なのか?ということだ。
これはやっかいな問いである。まず、PRに関しては世界中で過去さまざまな定義が語られてきている(ためしに「PR」でググってみるといい)。100年近くにわたってだ。
ちなみに、「PRの父」とも言われるエドワード・バーネイズの「プロパガンダ」は1928年の刊行だ。そして、特にこの10年ほどで、いわゆるPRの領域は驚異的に広がりつつある。その昔、PRといえばメディアとの関係とその成果=パブリシティを指していた。
それが今や多様なインフルエンサー(影響者)との関係、ソーシャルメディアの登場による生活者とのつながりまでが網羅される。そして、同じような環境順応をとげてきた「広告」との境界線はますます曖昧になり、そうした議論自体意味を持たなくなる。
「で、結局PRって何なの?」
「ある情報を社会に増幅させる企て」――今の時点で筆者の中でしっくり来る定義はこうだ。「PRって何?」と聞かれたら、いまならこう答えるだろうということだ。
この定義のポイントは3つ――「社会」、「増幅」、「企て」だ。ちょっと解説が必要だろう。
まず、PRは「社会が舞台」ということだ。戦略PRの「空気づくり」しかり、目的が営利だろうと非営利だろうと、公共性や普遍性はPRの要だ。
企業と生活者の閉じたダイレクト・コミュニケーションで目的が成立するのなら、それはPRじゃない。「社会という舞台に何を起こそうとしているのか」という視座がまず必要で、極端な話、それを実行するのが広告でもいい。
次に「増幅」だが、筆者はこれがPRの中核的な醍醐味だと思っている。ある情報や話題が広がるアンプを設計するようなものだ。
ソーシャルメディアが普及するまでは、増幅は主にマスメディアの報道によってなされていた。いわゆる「報道の連鎖」だ。これが広告業界の参入障壁にもなっていたわけだが、ソーシャルメディアの登場によってランドスケープは様変わりした。
最後に「企て」だ。筆者はPRには常に「しかけの意図」がついてまわると思っている。例えば、2014年に世界中を動かした「アイス・バケツ・チャレンジ」はPRなのか否か。
PRが企てだとすると、「結果論として」史上最大のクチコミとなったアイスバケツはPRとは言えない(実際、昨年のカンヌPR部門ではこの点において審査員が真二つに割れたようだ)。というわけで、その取り組みが、『ある情報を社会に増幅させる企て』だとしたら、広告中心であれ何であれ、それはPRではないかと思うのだ。
PRの上手な企業や優秀なPRプロフェッショナルは、つまるところ、ここに長けている。もっと言えば、それはさらに2つに分解できよう。「どんな情報が社会で増幅しやすいか」と「情報はどう社会で増幅していくか」の2つだ。
「ん?同じことじゃないか?」と思ったのなら、もう一度ゆっくり読んでほしい。そう、前者はコンテンツの見極め力、後者はメカニズムの把握力だ。これぞ、PR=「ある情報を社会に増幅させる企て」のノウハウであり、その専門性が求められる理由なのだ。
PRの仕事とは何か?――これからの10年も、この問いの探求は続くだろう。
この記事はビデオリサーチインタラクティブのコラムからの転載です。
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