Googleは2016年のGoogle I/Oにおいて、これまで以上に強く未来のビジョンを打ち出している。開発者とユーザーに、Googleが何を提供しようとしているのかを理解してもらい、自社のエコシステムに引き入れたいからだ。
「検索機能の開発にしばらく時間をかけてきたように、これも長い時間をかけて築いていくことになると考えている。長大な旅になるだろう」(Pichai氏)
Alphabetの共同創設者Larry Page氏とSergey Brin氏は、一貫してPichai氏のリーダーシップに対する信頼を示している。4月には、同社が毎年発行している創業者からの手紙の執筆をPichai氏に任せたほどだ。Brin氏と前最高経営責任者(CEO)のPage氏以外の者がこの手紙を書くというのは、Googleの17年の歴史において初めてのことだった。
Pichai氏のオフィスはガラス張りで、そのすぐ外にはAppleの伝説的な共同創設者Steve Jobs氏を思わせるようなTシャツが、椅子の背にかかっている。そのTシャツに実際に描かれているのは、Pichai氏が万感の思いを込めて、はるかかなたを見やっている図柄だ。手をかざして目を覆っているのは、日差しをさえぎるためだろう。その下には「WWSD?」と書かれている。「What would Sundar do?」(Sundarならどうするか?)の略だ。
Pichai氏は以前からPage氏の有力な後継者と目されていたが、後を継ぐことになると知らされたのがいつだったか、正確には覚えていないという。いわゆる「王国への鍵」を譲り渡すような会話があったわけではない、とPichai氏は冗談まじりに語った。「そんなことが起きるのは映画の中だけだ」(Pichai氏)
むしろ、Pichai氏の昇進は段階的だった。同氏はインドのチェンナイに生まれ、インド工科大学カラグプル校を経てスタンフォード大学とウォートンスクールで修士号を取得。Googleで最初の入社面接を受けたのは2004年4月1日だった。「Gmail」のサービス開始と同じ日で、同氏はそれをエイプリルフールの冗談だと思ったという。
Pichai氏はプロダクトマネージャーとしてブラウザの検索バーを担当し、その後は「Chrome」の初期開発に関わる。着実に実績を積み重ね、2013年には「Android」を引き継いだ。その前任者は、活動的だが考え方に偏りがある創設者Andy Rubin氏だ。さらに2年後には、Googleの他のウェブ製品の責任者となり、2015年にCEOに就任した。
Pichai氏のチームは、Google製品に関する同氏の豊富な知識に信頼を寄せており、かつてサイロ化していたプロジェクトをまとめることができた主な理由はその知識だと考えている。「プラットフォームを深く理解している。指導を受けたいと思えるリーダーであり続けてきた」。Androidの責任者を引き継いだHiroshi Lockheimer氏はこう述べている。
Pichai氏のオフィスの外には、複雑なアート装飾があり、頭上には光がきらめいている。まるで、脳内に張りめぐらされたニューロンをアーティストが表現したかのようで、一面の星空にも見える。その下で肖像写真用にポーズをとるよう頼んだ。似つかわしいセッティングだった。Page氏とBrin氏が一歩退いてAlphabetの将来を見据えるようになった今、Googleにとっての北極星はPichai氏だからだ。
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