にもかかわらず、2012年のCESでは依然として、未だに多くのテクノロジ企業がAndroidタブレットへのクアッドコアプロセッサや高解像度カメラの搭載をアピールしていた。こういった企業は、上記で挙げたようなシナリオを未だに念頭に置いて開発し続けている。しかし筆者が過去1年間で見聞きしてきたことから判断すると、ほとんどのコンシューマーやプロフェッショナルはタブレットをそのような用途で使っておらず、また使いたいとも思っていない--本当に頭が切れるオタクや技術者であれば話は別だが、そういった人々はほんの一握りしかいないのである。
実際のところ、ビデオ通話や、HDテレビでのデジタルコンテンツの鑑賞を行いたいというのであれば、もっと簡単で優れたツールが存在している。また、タブレットにキーボードを接続し、本気でコンテンツの制作に取り組みたいというのであれば、11インチのノートPC(ASUS ZENBOOKやMacBook Airなど)を使った方がよいだろう。こういったノートPCはタブレットのような形状を採用しているうえ、タブレットよりも強力なツールになるはずだ。
このようなことはタブレットの得意とするところではなく、人々がタブレットを買いたいと思う理由でもない。また、ハードウェアの性能を高めるとコストが高くなり、Androidタブレットの価格を押し上げる要因にもなっている。その結果、Androidタブレットの原価はiPadのそれよりも高くなってしまっているのである。いったい何のためにコストをかけているのだろうか?結局のところ、一般大衆が使うことのない、そして欲しいとも思っていない機能のために高価な製品になってしまっているというわけだ。
さらに悪いことに、こういった企業は自社のタブレットをアピールする際、高度な技術を並べ立てるだけに終わっているケースがほとんどだ。その責任の一端はGoogleにもある。Googleは優秀なエンジニアを擁していることを誇りとしている。そのこと自体は誇りを持つに値するのだが、問題は、世の中の人々すべてがエンジニアのような考え方をする(あるいはそういった考え方をするべきだ)と思い込むという過ちを同社が度々しでかしているところにある。世の中の人々はエンジニアのように考えたりはしないし、そのように考えるようになることもないのである。
要するに、テクノロジ市場はもはや、テクノロジ愛好家だけのものではなくなっているのが現実なのだ。Googleやサムスン、ASUS、Acer、東芝といった企業は、1980年代や1990年代のIBM互換機メーカーのように振る舞ったり、テクノロジに造詣が深い人向けのコンピュータを製造していると考えるのをやめる必要がある。今日の市場はずっと大きなものになっており、ギガヘルツやメガピクセルといったことなどどうでもいいと考える人々が大勢を占めているのである。
Androidタブレットメーカーは、従来のPCに近いタブレットを製造すれば成功するはずだと考えた結果、失敗の憂き目に遭っている。彼らは一刻も早くその過ちに気付いた方がよいだろう。そして戦略を変更し、タブレットが得意なことに焦点を当てるようにするべきだ(またWindows 8タブレットが市場に投入される2012年後半になる前に、Microsoftもこういったことを認識しておくべきだろう。さもなければ同じ過ちをおかしてしまうことになる)。
一方、成功を収めている2つのタブレット(AppleのiPadとAmazonのKindle Fire)に目を向けると、AppleとAmazonはともに、タブレットを強力なソフトウェアやサービスに接続するためのシンプルなディスプレイと位置付けていることが分かるはずだ。Amazonはタブレットを市場に投入する1年も前から、同製品で利用可能なサービスの充実に力を注いでおり、その努力は次の一手につながる素晴らしいものとなっている。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)