タブレットにとっての「iPad」は、かつてのMP3プレーヤーにとっての「iPod」のようなものだ。もはやそう言っても差し支えないと思う。筆者が言いたいのは、Appleが再び論理的で実際的な購買習慣を打ち崩し、米国における「Beanie Baby」や「Snuggie」のような文化的現象になる大ヒット商品を世に出したということだ。
それでも、iPadの成功をiPodの成功と比較する意見を聞くと、どこか違和感を覚えてしまう。iPod戦争を経験し、その分析に膨大な時間を費やした筆者は、iPod時代とiPad時代の表面的な類似点よりもさらに深いところまで掘り下げて、両デバイスの時代が本当に考えられているほど似ているのかを検証しなければならないと感じている。
そこで、過去を振り返りiPod戦争とは実際は何だったのか考察し、本当に歴史は繰り返そうとしているのかを検証する。
よく知られているように、Appleが最初にMP3プレーヤーやタブレットを作ったわけではない。iPodが発売されたのは2001年だが、「MPman」のような製品は既にその3年前に発売されていた。しかし、当時の市場規模は小さく、そうした製品を購入していたのはアーリーアダプターや熱心な音楽マニアだけだった。Appleの功績は、MP3プレーヤー分野に本格参入した最初の大企業だったということだ(当時最大の競合だったMicrosoftよりはるかに早かった)。
初代iPodは、機能の豊富さや価格の面では最も優れたMP3プレーヤーというわけではなかったが、当時の他社製品を上回る5Gバイトの容量を搭載していた。また、ほかのどんなプレーヤーとも(当時まだ主流だったポータブルCDプレーヤーを含む)明らかに違うデザインだったため、まるで未来からの貴重な贈り物のように感じられた。
iPadの場合、PalmやMicrosoft、そしてApple自身まで、さまざまな企業が何十年も前からタブレットやペン操作のハンドヘルドデバイスに取り組んでいた。iPadによく似たタブレットコンピュータのコンセプトは、PCが普及する前からあったものだ。
Appleは、iPadを発表したときは早期参入という強みはなかったが、iPodのときと異なり、最も優れた価格設定と、競合他社がソフトウェアとデザインの両面で何年も追いつけないような製品を用意した。また、初代iPodを開発したときはMac開発という安全地帯から意を決して飛び出さなければならなかったが、iPadを発表したときは、携帯型電子機器に関する専門知識が10年近くにわたって蓄積されていた。
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