高価で制約の多いAppleのiPodから消費者の心を奪えないことに悩んだ一部の競合他社は、より心理学的な作戦に出た。SanDiskはiPodユーザーをヒツジやサルになぞらえた「iDon't」キャンペーンを開始した。Microsoftの「Welcome to the Social」(ソーシャルへようこそ)と題した「Zune」のキャンペーンでは、iPodを使うことは時代遅れで社交性に欠けることだというイメージを打ち出し、ZuneソフトウェアにMTVの音楽サブスクリプションサービス「URGE」を組み合わせた。いずれのケースでも、クールさという点で頂点に立つAppleを王座から引き下ろそうという試みは成功していない。
iPod時代を振り返って、筆者が最も強く感じることは、iPodの競争は誰もが考えているようなスマートな圧勝ではなかったということだ。ニッチなMP3プレーヤーだったiPodが大きな人気を得るまでには何年もかかった。iPodによってMP3プレーヤー市場をメインストリームに押し上げた後、Appleは毎年毎年、ディスプレイ、大容量、小型化、機能数の点で上回る競合他社に先を越されないよう果敢に戦った。2001年にリリースされてから、iPodが本当の意味で競争を勝ち抜いたのは、「iPod nano」「iPod shuffle」、そして第5世代iPod(のちに「iPod classic」と名付けられた)をリリースした2005年になってからだと言えるのではないだろうか。
一方iPadは、業界を急襲した。iPadの後を追ったタブレットの大半は、競合他社がまだ混乱の中にいてその戦いの相手を理解しきれていないことを証明するだけに終わった。iPadは、ハードウェアの面だけでなく、Appleが人気のモバイル向けソフトウェアとサービスを生み出し、改良を重ねてきた10年間を体現するものだ。ハードウェアは重要だが、競合他社が肩を並べようとしてこれほど苦戦しているのは、その表面の背後にあるユーザーエクスペリエンスだ。対抗し得るようなエクスペリエンスを実現している企業はごくわずかで、その中の上位2社(Microsoftとソニー)もまだ主役にはなれていない。
それに比べてiPodは、ブラフだったといっていい。Appleはそれまで慣れ親しんだ分野と異なることに取り組んで、MP3プレーヤーのメインストリーム市場を切り拓くものとしてデザイン性の高さに賭けていた。うまくいった理由は、音楽ファンの共感を得られたこと、デザインが象徴的だったこと、iTunesの登場によって(DRMという欠点はあったものの)デジタル音楽ファイルのダウンロードが、技術的なことに苦手意識のある消費者にとっても身近なものになったことだ。
後から考えてみると、iPodのようなシンプルな製品がMP3プレーヤー市場を奪い去ってしまうことを誰も防げなかったとは信じがたいことのように思われる。iPodより明らかに優れた競合製品が数多くある(少なくとも当初はあった)のに、誰もが音楽プレーヤーとしてiPodを選んだのはなぜか、と自分の子どもに聞かれたとしても説明するのは難しくなるだろう。
しかし、iPadがこれほどまでに成功しているのはなぜかと問われたら、答えは簡単だ。Appleは時間をかけて練習したからで、そのことは目に見えている。
今後Appleからトップの座を奪おうとするタブレットがあるなら、スペックの高さ、低価格(この点は一定の効果はあるが)、クールなマーケティングキャンペーンだけでは足りないことがiPodによって証明されている。手っ取り早い解決法はない。時間をかけて苦労するつもりがないならば、少なくともリスクの高いことに挑戦する必要がある。結局のところ、iPodはそのようにして登場したからだ。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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