絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第5回--絵文字と日本マンガの親密な関係 - (page 6)

日本マンガを無視したアイルランド・ドイツの誤り

 ところでこうした技法、つまり同じ水滴を、大きさや形状、角度、位置を変えて配置することで、あるときは涙、またある時は汗、そして鼻ちょうちんというように描き分ける方法は、作者がそのように描いたというだけでは成立しません。表現とは受け手に理解されて初めて成り立つからです。こうした水滴をめぐる技法は、戦後マンガが表現力を高めていく過程で、さまざまな作家がさまざまな作品により、読者との間で長い時間をかけ少しずつ積み上げていった了解事項=リテラシーなのです(図9の『包丁人味平』が1970年代の作品であることを思い出してください)。

 現代日本の小学校6年生が造作もなくこれを描き分けた事実は、そうした歴史の上に成立しています。おそらく団塊の世代よりも下の日本人であれば、それほどマンガ好きでなくても、涙、鼻ちょうちん、汗を見分ける程度は簡単にできるはずです。こうした子供から大人まで広く共有されている了解事項のことを、ふつう「文化」と呼びます。そう、マンガは紛れもなく日本文化なのです。

 ここで、ではアメリカ企業であるGoogleが作成した絵文字はどうなのだという疑問がでるでしょう。しかしGoogle提案(PDF)をよく読めば、その提案者に日本人が2名ふくまれていることが分かるはずです。

 個人的な見解を言わせていただければ、Google提案の絵文字は、洗練という意味ではいささか見劣りするように思えます。図9を見ると分かるとおり、たとえば水滴が少し大きすぎ、野暮ったい印象が残ります。

 しかし「意味を伝える」ことで失敗はしていません。ここが重要で、その裏には日本のマンガを小さな頃から読んできた、つまりマンガのリテラシーを体得した人間の助言や修整があったはずです。一方で、アイルランド・ドイツ提案のチームにはそうした人間が存在しなかった。もっと言えば、マンガという文化に彼等はあまりにも無理解だった。顔文字における失敗の原因は、そういうことではないでしょうか。

  • 図13 Microsoft Messengerにおける「絵文字」(emoticon)

 おそらくその背景には、世界に広く普及しているMicrosoft Messengerで使われる「emoticon」があるように思います(図13)。顔文字だけを集めたブロックを新設しているのですが、その名称が他ならぬ「Emoticon」なのです(図1では下から6番目で、ここでは「顔文字」と訳しました)。

 よく知られているように、emoticonはキーボード上のキーを組み合わせて「;-)」「:-(」などと表現するsmileyに由来します。ペンで描くマンガを源流とする日本の顔文字とは、似たところはあっても成り立ちが違い、別物と考えるべきです。アイルランド・ドイツ提案での失敗は、emoticonに見馴れた目で日本流の顔文字をデザイン変更しようとしたからであるように思えてなりません(smileyの成立とその考察については、安岡孝一さんの「顔文字は文字なのか(PDF)」が参考になります)。

絵文字に刻み込まれた「消すに消せないもの」

 さて、ここまでをまとめてみましょう。Google提案とはソース分離を実現するために、キャリア原規格をそのまま呑み込もうとするものでした。そのため日本という特定の国の文化を色濃く反映したものになりました。

 一方のアイルランドとドイツ提案は、Googleが主張する相互運用性には同意しつつも、そうした特定の文化への依存性を嫌悪しました。そこでこれを少しでも薄めるためにGoogle提案を根本から再編成し、さらに文字のデザインを汎用的なピクトグラム風のものに変更する荒療治に乗り出しました。しかしそうした結果、顔文字で元々の原規格の意味を正しく伝えられないという失敗を犯しています。このことは、なにを意味しているのでしょうか。

 師茂樹さんは先に引用したエントリ「Emojiに対するアイルランド、ドイツからの修正案」の中で、面白い指摘をしています。

 うーむ、文字の汎用性(文字はコンテクストを越えて使用することができる)については理解できるが、(略)一方で文字が一定のコンテクストを背負っていることも間違いないわけで、この辺のバランスは難しいところだよなぁ。

 つまり、文字にある程度の汎用性があることは確かだけれど、時として特定の文化(コンテキスト)に依存せざるを得なくなるのも、絵文字に限らず文字そのものの性質であるということです(アイルランド・ドイツが「バス」のデザインを変えたのだって、それが彼等の「コンテキスト」から違和感があったからでしょう)。ISO/IEC 10646は世界中の人々が使う文字コードであり、汎用性を求めるアイルランド・ドイツの姿勢はひとまず正しいと言えましょう。しかしピクトグラムの存在からも明らかなように、そもそも文字に完全な汎用性はありません。つまりいくら汎用性を追い求めても、おのずから限界があるわけです。

 アイルランドとドイツはGoogle提案の絵文字を〈「絵のよう」であり、ものによっては過剰に「かわいい」〉と批判していました。しかし、じつはそれこそが絵文字に刻み込まれた消すに消せないもの、師茂樹さん言うところの「一定のコンテクスト」だったのです。これを頭から否定して文字コードに収録しようとすれば、元々の文字の意味が変わってしまいます。

 このようにして、絵文字をISO/IEC 10646に収録するに当たっては、ただ汎用性を追求するだけではダメで、日本の文化とのバランスを考えざるを得ないことが分かります。ところがそれに失敗したのが顔文字の例だったというわけです。

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