その交渉が物別れに終わってから2週間もたたない内に、今度はYahooの物言う株主Carl Icahn氏がこの件に介入してきた。Icahn氏は、委任状争奪戦を開始しYahooの現取締役陣の退任を求めることを明らかにした。他の多くの大株主同様、Icahn氏は買収が不成立になったことに立腹しており、全面的に争う態勢を整えていた。
数日後、再びMicrosoftが舞台に登場した。今度はYahooの検索事業だけを買い取ると提案。だがこの提案は拒否された。
6月中旬になると、Yahooは、Microsoftが同社の買収にもはや関心がないこと、またライバルのGoogleと検索広告で提携する予定であることを発表した。このニュースを受け、Yahooの株価は急落した。
さらに1カ月後、MicrosoftはIcahn氏と手を組み、Yahooの検索事業だけを対象とした部分的買収を再度提案した。しかしその提案もまた拒否された。
こうしたドラマの背後で、Yahooの株主総会の日が刻一刻と近づいていた。Icahn氏にとってこの株主総会は、Yahooの現取締役陣を退け、株主たちを説得して自分が推す候補を取締役に選任させるチャンスとなるものだった。だが総会を前にして、YahooとIcahn氏は和解した。Icahn氏と、現経営陣に反対の立場を取るIcahn氏の同調者2名が新たにYahooの取締役に就任することで合意に達したのだ。
こうしてYahooは「Icahn危機」を回避することができたのである。ところがIcahn氏との一件が決着すると、今度は独占禁止法に関する別の戦いが起きようとしていた。検索広告をめぐるYahooとGoogleの提携について、米司法省が調査の開始を決定したのだ。この両社の提携は、独占禁止法に違反しているかどうかを規制当局が決定するまで保留となっていた。Yahooに広告を掲載している顧客企業も、全米広告主協会(ANA)を介して、この提携に反対することを表明、司法省の側についた。
契約内容の変更について何度も会合を開き多数の提案を作成した後、11月初めに司法省から提携を阻止するため提訴するという連絡を受け、YahooとGoogleは最終的に提携を断念した。
Yahooは提携初年度にGoogleから8億ドルもの売り上げを見込んでいたが、この計画は提携交渉と共に消え去った。
それから2週間もたたない11月中旬、Yahooは後任が見つかり次第、Yang氏がCEOを退任することを発表した。ただし、Yahooの共同創設者でもあるYang氏は同社の取締役として残り、以前の役職名「チーフヤフー」に戻ることになっている。
こうしてYahooの2008年は「ないもの」だらけで終わることになった。つまり、Microsoftとの提携もなく、Googleとの提携もなく、Yangという名字のCEOもいなくなる。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをシーネットネットワークスジャパン編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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