コンテンツ価値のゼロ化は、消費する側にとっては大きな課題にはならない(むしろ、望まれている)。ただ、制作するものにとってのコンテンツ価値を担保できなければ、コンテンツ制作は職業として成立しなくなっていく。マンガや小説、写真、音楽など、そのクオリティさえ問わなければ一人でも創作が可能なジャンルは、UGCとしての存続も可能だろう。しかし、映画やアニメなど、高度に分業化された専門家の参加によって始めて成立する「メディア・コンテンツ」の場合はそうはいかない。
もちろん、そんな産業化されたコンテンツであっても、それを創造する人間への分配を確実に行うメカニズムが背後にあればさえいい。しかし、そんなメカニズムがないままに、「コンテンツ価値のゼロ化は、適正価格の発現でしかない」といった、発した人自身ですら言葉の意味を十分に理解していない、愛のない、一種の暴力的な言説の振る舞いが一般的なものとになると、状況は深刻になっていく。
そんな状況を、冷静に見つめる視点が現われた。このコラムに復帰して最初のエントリ「今こそ求められるフリービジネスのデザイン・スキル」や、第2回目のエントリである「フリービジネスの原資を確保せよ」でも言及した米WIREDの編集長でありベストセラー『The Long Tail』の著者としても知られるChris Anderson氏の新著が、7月初めに刊行された。『FREE:The Future of a radical price(「無料:価格の未来」というのがベタなタイトルの訳か)』というのが件の著作のタイトルだ。
米国では、同書の一部の記述がwikipediaそのものにもかかわらず引用元が記されてないとか、ケースとして掲げられた事例が同書のコンテクストには実は沿ったものではなかったとして関係者からクレームが呈されているとか、いろいろと話題になっている。逆の見方をすれば、発表からたった数日でそんな話題が広く出回るくらい人気の本とも言える。その後押しをしているのは、そのタイトルの「FREE(タダ)」とおり米国ではネット上では無料で読めることがあろう。(だが、日本からのアクセスは制限されている。著作権や商圏という面までは「FREE(自由)」という訳にはいかないところが、ちょっとした皮肉になっている)。
日本でも同書の翻訳版が出版されると聞いているので、その詳細は直接原書か翻訳書に当たっていただければと思う。(面白いし、読みやすいので、原書もオススメだ)だが、同書の後半になって現れる「限定(Scarcity)社会vs過剰(Abundance)社会」といった議論が、実は冒頭からの議論の展開では大前提になっており、ちょっとした違和感を持ったまま読み進まざるを得ない人も多いのではないかと思う。
具体的にはどのようなことか。従来、ITだけではなく、僕たちの社会規範のひとつに「最適化された資源の活用」があるのではないか。むしろ、アートやメディア、コンテンツといった領域は、この規範からの逸脱をある程度必要とするという点で、何かと問題を起こしてきたのではないかと思う。
しかし、クラウドに代表されるようにブロードバンド・ネットワークの普及によって個別に保有してきた資源を融通しあえるようになり、個々のハードウェアにおいてもその進化と低廉化によって機能的に収容可能な需要を明らかに上回ってしまった現在、少なくとも情報空間において資源は「じゃぶじゃぶ」状態に到達しつつあるアンダーソン氏は想定している。要するに、インフラの制約はもう考える必要がない、ということだ。加えて、Googleのようなプラットフォームの整備によって、物質的な資源環境では根本的な制約条件だった検索や移動のためのコストも、ほとんど無視しても良いレベルだ。そんなこれまで人類が経験したことのない条件下にあることを認識すれば、FREEという言葉の新しい意味合いが見えてくる。
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