コンテンツ価値のゼロ化は、ネット上ではなく、リアル社会で始まっていた……。そんな状況を冷静に見つめ、「FREE」という価格設定を戦略的に執っていくことで、なし崩し的なゼロ化を回避するフリービジネスモデルの構築が急務になっている。
先日、8月末にデジタルコンテンツ協会から刊行される『デジタルコンテンツ白書2009』の編集会議に参加してきた。一昨年にその傾向が見て取れ、そしてそれがリーマン・ブラザーズなどグローバル金融機関の破たんとして顕在化し、やがて実体経済へも波及した経済不況の影響は、当然のことながらコンテンツ業界にも現れていることが統計上も明らかになっている。
しかしながら、アナログからデジタルへ、パッケージからネットへという大きな流れの中、産業構造の移行が必ずしも順調に起こっていない国内コンテンツ業界では、その大きな流れだけでは説明できないもう一つの現象が起きていることが話題になった。それはすなわち「ビジネスモデルによるコンテンツ価値のゼロ化」である。
「コンテンツ価値のゼロ化」については、前回のエントリ「新聞の没落、易きに流れる世界--コンテンツ価値の「ゼロ」化を防げ」でも警告した現象だが、そこでは最初のケースとして米国の新聞会社が直面する状況を掲げている。日本のケースとしてニコニコ動画も掲げている。が、そこでは違法に掲載されたものを除けばそもそもプロが制作したものは少ないという点で、米国のケースとは性格が異なる。すなわち、従来の流通市場とは異なるところで発生した経済圏における需給バランスのギャップに注目し、ゼロ化対策のヒントとして掲げた。
この事象に対する別の視点として、経済産業省の村上氏の最新のブログエントリにおける「嫌儲意識」に関する記述が興味深い。マスメディアの産業構造が、ネットとそれに密接に連結する社会の変化に比べ新たな均衡点への移行が遅れていることが、米国の新聞業界的な意味での「コンテンツ価値のゼロ化」の原因だったが、それとは別の現象が日本では現れている。
すなわち、「コンテンツ価値の希釈化」を促すビジネスモデルの台頭だ。以前、「レンタル」に対して起こった問題が、再度、より深刻な形で浮上してきたといっていい。
従来、コンテンツは、広告型であろうと、パッケージ型や体験型であろうと、基本的には一定の単位に対して価格が設けられていた。すなわち、30分番組枠へのスポンサー料であり、1曲あたりのカラオケ料金であり、観劇料であった。しかし、一旦、入場券を買ってしまえば、使い放題、遊び放題といった「場」が増えてきたのだ。すなわち、カラオケ・ボックスや総合アミューズメントセンター(ボーリングやゲームなど、遊び放題)だ。その際、そこで消費されるコンテンツの制作者への利益還元条件は曖昧であり、支払われたとしても、従来と比較して限りなく希釈された対価しか得られない可能性が高い。
もちろん「場」の運営者にとっては大きな収益が期待できるかもしれないものの、長期的にみるとコンテンツ産業全体にとっては深刻な課題となっていくに違いない。日本ではこういった形でコンテンツ価値のゼロ化がゆっくりと、さも当然のように進行している。そして、ついには統計にも反映するほどのレベルに達しつつあることを、海賊版などの議論とは別にどれほど多くの人が認識しているのだろうか。
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