「n=1」のマーケティングを重視するスマイルズ--熱量が価値を拡充 - (page 2)

阿久津良和 別井貴志 (編集部)2018年10月16日 08時00分

――事業化の決断を下す際、事業計画書などは用意されますか。

 一応はありますが、新しい事業ですから不明確なことだらけです。通常であれば需要リサーチなどマーケティングから始まりますが、それも行いません。早く小さく始めた方が新規事業の方向性や可能性も見えてきます。今まで存在しないものは、やらない限り顧客需要は分かりません。先ほどの弁当事業も、高額な海苔弁当に対して「美味しい」との調査結果を得ても、その値段で恒久的に購入するか否か判断するのは難しいでしょう。

――では、アイデア段階から事業化する判断材料は何でしょうか。

 発案者が本気か否かです。言葉を置き換えれば熱量でしょうか。発案者が泣きながらプレゼンテーションするケースもあります。事業を個人に委ねる場合は関係会社を作って取り組み、我々は一切口を挟みません。このスタイルなら自分の山を登れます。そこで弊社の山に合わせると無理が生じてしまうため、リスクヘッジしつつも独立性を優先します。

 曖昧な表現ですが、スマイルズの事業として取り組む場合は、やはり「スマイルズらしさ」も大事です。例えばSoup Stock Tokyoや100本のスプーンも我々がファストフードを、ないしはファミリーレストランを手掛けたら「こうなりました!」という独自性を大事にしています。我々はまったく新しい事業やサービスに取り組んでいるのではなく、今までの何かを我々らしい見立てで表現する形で事業に取り組んできました。「スマイルズ or Not」が我々の基本スタンスです。

――事業化以前は仮説で、事業展開時はブランディングやマーケティングが必要です。仮説を証明しないと事業は継続できません。その評価基準はどうされていますか。

 そのブランドについてどこまで自分が話し尽くせるか。考え抜いてアウトプットしているかを大事にしています。マーケター、クリエイター、お客様の視点など様々な側面がありますが、すべての角度から1つの事象を話せる、あるいは1つの事業を一意的な見立てから一方的に語るのではなく、結果的に多様な側面が生まれる状況につなげるような重層的な情報発信を意識しています。

 自分たちの伝え方も大事ですが、立場の異なる皆さんが(我々のブランドを)どう見立てるのかも重要です。弊社は各ブランドを人格に例えますが、明確な稜線(りょうせん)ではなく、多様な評価で輪郭が形成されるため、その評価を強く意識しています。生み出すときは自己本位の割に他者からどう見られるかも意識していますね(笑)

 我々のブランドをメディアに掲載して頂く場合、単なる発表ではなく体験記など長い記事が多く、我々はそれを読んで「なるほど、そう取るか」と勉強になることもあります。弁当事業なら既知性に対して価値を付与し、新事業につなげる結果となりましたが、当時の我々はそこまで考えていませんでした。事業を進めながらチューニングしています。

 ただし、自分たちのやりたいことが明確なため、単純な要望に応えるようなチューニングは行いません。例えばSoup Stock Tokyoは現在も9割が女性顧客ですが、これまで男性向け施策は行っていません。通常であれば規模を拡大する施策として選択しがちですが、仮に実行した場合、既存の女性顧客が離れてしまう可能性があります。我々が大事にしているSoup Stock Tokyoさんという人格をベースに、事業上の戦略、コミュニケーション戦略を考えるようにしています。

 我々はKPI(主要業績評価指標)といった数値目標をシビアに定めていません。KPIを重視すると事業規模拡大といった本質と異なる手段を選択するからです。現在の価値を内在化し、その価値を理解した上で更新することが重要です。その結果、軌道に乗ったブランドは着実に成長します。分かりやすく話すと「良い意味で余計なことはしない」でしょうか。

「各ブランドを“人格”に例えている」と野崎氏
「各ブランドを“人格”に例えている」と野崎氏

――なぜ実践できるのでしょうか。企業のレゾンデートルは右肩上がりです。話をうかがっていると、価値があればKPIは不用と聞こえますが。

 極論ではその通りです。企業だからこそ利益は必要ですが、我々は新規顧客獲得よりも価値更新を重視してきました。その上でリテンション(既存顧客の継続確保)し、そこに引きずられるように他の顧客が呼び込まれていくことを望んでいます。スタートアップは開発した製品やサービスが「価値はあるけど、誰にハマるだろう」という迷いの時期が必ずあるでしょう。しかし最後に見出すのは、利益よりも「この人にドンピシャとハマった」。これを探す旅だと思います。

 例えばgiraffeのデザインは女性が行っていることもあり、同性からの受けがいいんです。自分のパートナーに贈り物をする際は、giraffeのネクタイを選んでくださる。そして受け取った男性が出社して反応するのは大半が女性。すると男性はポジティブな評価を得てテンションが上がり自身でも購入します。結果的にビジネスマンにも広がり黒字化に転じました。どのように伝えていくか“価値の入り口”となる代弁者を探すことも重要です。

 同じ文脈で出店地域の選択も一種の媒体と捉えてきました。どの地域に進出し、提供内容の注力具合で事業成長度は変化します。我々はSoup Stock Tokyoなどの出店計画は用意していません。例えば「3年で100店舗」など掲げた場合、ブランドの本質的価値と異なる部分で無理が生じます。あくまでも、「この地域の顧客なら我々の価値観に共感してくださるであろう」という場所にしか出店しません。

 我々の商品は合理的に選択されているわけではないと考えています。「安いモノ」なら別のファストフードでも構わないでしょう。例えば少し高くても美味しくて体にいいものを食べたい、自分の心を満たせる場所で食事したいという顧客は存在します。我々の価値観に共感してくださるそういったお客様に寄り添うブランドでありたいと考えています。

 スタートアップ時点は事業計画を用意するよりも、日々の押し問答を繰り返しながら、(入り口が)見つかったら大きく広げて行く感覚に近いですね。

――一昔前なら出店はコンサルタントに相談して調査を重ねるなど、一定の基準を設けます。Soup Stock Tokyoの出店計画で重視するのは何でしょうか。

 我々は自分たちが街や場の空気を感じて、「この街好きだわ」というフィーリングを重視します。それがないとスタッフも頑張れません。例えばお茶の水店がある千代田区神田駿河台は、下町的要素が多い街ですが、大学や病院などもあり品も兼ね備えています。“街らしい街”の中で地域の方々に愛されることも素敵なことですから、出店地としては申し分ありません。

 初期のSoup Stock Tokyoは働く女性を主なターゲットとして出店してきましたが、ブランドも間もなく20年を迎えようとしている中で、お客様のライフステージも変わり、結婚や出産され、母親になる方も多くいらっしゃいます。現在はファミリー層の多い「たまプラーザテラス店」や「星が丘テラス店」など、お客様のライフステージに寄り添うお店作りもしています。出店については、あくまでも定量的数字は参考程度に見ながら、街の温度感を重視する「感性と定量」が合致した場合に出店を決断します。

――一連のお話をうかがうと、実践できていることが不思議でなりません。

 Soup Stock Tokyoも利益が安定するまでに8年かかりました。他の事業も変わりません。一般的なビジネスのように数字で判断するなら撤退すべきです。ですが、「やりたい」というメンバーが見たい景色が見えていないからこそ継続したい、と決断を待てる期間が他社よりも長いからでしょう。もちろんMBO以前は数字を求められることも多かったようです。要は「辞めない限り失敗ではない」ですね。「道の途中」と言い訳して(笑)。

 幸いSoup Stock Tokyoは他ブランドを支えるまで成長しましたが、我々は「広告」はせず、「割引」などもしないで、価値づくりに重きを置いてきました。価値を貯めることが活動の本質です。

――最後に、野崎氏にとってマーケティングとは何でしょうか。

 自分自身を理解することでしょうか。僕も消費者の1人ですが、今晩食べたいものを徹底的に突き詰めれば(なぜそれを食べたいと思ったのかという深層心理を突き詰めれば)、他者の理解もできるはず、と考えています。自分の「好き」を徹底的に理解すれば、マーケティングという概念に拡張して意思の理論体系化が可能になります。

 まずはひとりひとりの経験はユニークネスだからこそ100%信じます。例えば20年間ニートをしていても、それは誰も経験したことのない唯一無二の大事な経験でしょう。マーケティングは後方指標なので、アンケート調査という曖昧な情報を信じるのか、自分の経験や心理を信じるのかの違いでしかありません。

 具象的な事象を抽象化して事業に落とし込み、ラダーアップ(被験者の根源的な心理状態に近づけるラダーリング手法)できれば、コンセプトの昇華につながります。曖昧だが自分の感覚とつながる出来事はマーケティング調査からは見えてきません。

 (野崎氏が登壇するワークショップでは)10~20人ぐらいの参加者が、あるテーマに沿ってさまざまな「n=1」の経験・体験を集めます。その内容を一度分解して、改めて組み上げ直してみる。そして新しい枠組みや仮説・コンセプトのようなものを生み出します。そこから得た案は定量的でも平均でもありませんが、だからこそのユニークネスと「n=1」から端を発することで確実な妥当性を具備しています。定量的情報だけに従ってしまうとほかの誰かと同じものしか生み出せません。だからスマイルズはn=1を仕掛け続けます。

企業理念である「生活価値の拡充」を現した「スマイルズのある1日」
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