6月27日、サイバーエージェント・ベンチャーズにて「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾(十)」と題したトークセッションが行われた。コラムニストの黒川文雄氏が主宰、エンターテインメントの原点を見つめなおし、ポジティブに未来を考える会となっている。
今回は「国産エンタテイメントの生きる道」をテーマとし、日本のコンテンツ事情やエンタテイメント産業の現状と未来について語られた。登壇したのはエピックソニーの創始者でもあり、ソニー・コンピューターエンタテインメント取締役会長、ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長などを歴任、現在は247inc.取締役を務める丸山茂雄氏。そして「PlayStation(PS)」の生みの親として知られ、ソニーコンピュータ・エンタテインメント名誉会長なども歴任、現在はサイバーアイ・エンタテインメント代表取締役社長兼CEOである久夛良木健氏の2人。
2人はともにソニーで数多くのビジネスを立ち上げたキーマン。丸山氏は音楽で、久夛良木はゲームでそれぞれ新しい時代を切り開いてきた。冒頭ではそんな2人の過去を振り返りつつ、今の若者の未来について語った。
丸山氏は、自身が新しいチャレンジをした時代と下積み時代を振り返り、動物の子供が、親からエサの取り方を教わらないと生きてゆけないという例え話を挙げ、ビジネスの基礎となるものを教わらずに、何もないところや何も知らないところから挑戦することは無理だと切り出した。当時は小さい会社だったという読売広告社での営業職を通じ、失敗も経験しながら“エサの取り方”を学んだという。
大手企業を目指す若者や、就職活動のために多大な労力をかけて疲弊してしまうといった風潮も聞かれるが、「大きい会社は、意外とエサの取り方を教えてくれない。小さい会社のほうが学べる」(丸山氏)と、できるだけ現場で経験を積み学ぶことの重要性を説いた。
一方の久夛良木氏は幼少期のことを振り返った。戦後、台湾から引き上げた久夛良木氏の父親が、材木の買い付けによって生計を立てていたことや、魚市場向けに印刷業を営んでいた環境から、“エサの取り方”を商売の現場を見て自然に学んでいたという。
「ずっと商売をやっていたし、家業を継ごうと思ってた。ソニーに入ろうだなんて思ってなかった」と語った久夛良木氏ではあったが、父親が倒れた際に「継がなくていい。好きなことをやれ」の一言から、エレクトロニクスやSF的なことに興味を持っていた背景があり、ソニーに入社したという。
そんな2人が出会ったのは1988年のころで、久夛良木氏が任天堂のスーパーファミコン向けに搭載しようと取り組んでいたPCM音源を開発していたとき。ゲームサウンドの“ピコピコ音”を変えたいと、当時のソニーにはサンプリング音源の技術もあることから、任天堂に飛び込んで営業をしていたという。そしてそのころに、その技術を丸山氏にプレゼンしたのが出会いだった。
丸山氏は当時音楽プロデューサーとして仕事をしていたこともあり、技術的なものの凄さについてはわからないと率直に言い、形にしてほしいと要望したことと、久夛良木氏の印象については「そのときのソニーはもう大きな会社で、技術者はみんな偉そうにしていた。でも彼は商売人の匂いがした」と振り返った。
もっとも久夛良木氏の取り組みは、丸山氏を通じて繋がりを持てた音楽業界で、活躍するミュージシャンやクリエイターに響くこととなった。特に評価した人の1人に音楽ユニット「PSY・S」の松浦雅也氏がおり、そこから音楽仲間の間で、ゲーム音楽という新たな活躍が出来る場が広がるとの期待が膨らんでいったという。
のちに2人はプレイステーションビジネスを立ち上げることになるのだが、そのときのことを振り返り、会社の大会議で話し合うのではなく、小さな会話の場によるコミュニケーションや、少人数で意欲のあるメンバーによって、それこそ誇大妄想のようにアイデアを膨らませていったことが大きかったという。
丸山氏は「僕らは本気だったけど、誰も本気で(PSが)立ち上がると思ってなかったし、これが最初から会社としてのメインプロジェクトとして位置づけられて、大会議で話し合われるとアイデアが膨らまずにややこしいことになっていたと思う」と語った。久夛良木氏も、周囲が新しいことに対する取り組みや成果のイメージができていなかったり、プロジェクトに対する否定的な見方をされているなかで、当時は本社ではなく、青山のオフィスに少人数で机を構えて進めていたことから、雑音から遮断され専念できたとしている。丸山氏も、保護者的な役割をしてプロジェクトのサポートを行っていったという。
久夛良木氏は丸山氏を通じて、さまざまなエンターテイメント業界の現場で活躍しているクリエイターと出会えたことが、個人としても、PSとしても成長したと振り返る。「技術的にすごいといっても、それがどうしたという世界じゃないですか。そこをエンターテイメントに関わっている人が別視点から牽引してくれたのが大きい」(久夛良木氏)。
そのひとつの流れが、ゲームクリエイターを立て名前や顔を公開するようになったこと。当時のゲーム業界は引き抜きを恐れて、開発者やクリエイターの名前を出すことに否定的だったが、丸山氏と久夛良木氏が、音楽業界の宣伝手法やクリエイターに対する尊敬をゲーム業界に持ち込んだ影響が大きい。それとは別に黒川氏も、映画業界などの経験からセガの宣伝に在籍した際、プロモーションとしてクリエイターを立てた宣伝手法を用いていた。久夛良木氏も丸山氏も、ゲーム業界がクリエイターを大事にしないことを不思議に思っていたが必要性を説いていき、現在ではさまざまな形でクリエイターが表に立っている状態となっている。
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