新しいテクノロジを文化に注入するというのは、一筋縄ではいかない場合がある。
19世紀に電話が初めて導入されたとき、人々が主に心配したのは、健康へのリスクと同時に、好ましからざる人物に会話を盗聴されるのではという恐怖だった。一部の人々は、電話という新しい装置は、地域社会の人間関係に悪影響を与える、あるいは電話を介してほかの回線を使っている人々の呼吸から病気にかかると信じて、電話の使用を控えた。
それから100年近くたって登場した最初の携帯電話は、重さが2.5ポンド(約1.1kg)、価格が4000ドル近くした。携帯電話を出迎えたのは、懐疑的な態度や、健康上のリスクについての懸念、そして社会の混乱だった。
新しいテクノロジの導入は不安や疑念を伴うことが多いと語るのは、マドリード・コンプルテンセ大学の社会学の教授である、Amparo Lasen Diaz氏だ。同氏は次のように書いている。
新しいテクノロジの採用の多くは、その影響をめぐって、ある程度の「モラルパニック」をもたらす。そうした不安の一部は、(固定電話と携帯電話の)両方のケースと共通している。すなわち、健康に対する脅威や依存の危険、従来の交流の減少、社会活動参加への関心の喪失、思いやりを欠いた行動である。ほかに新しいものとしては、公的空間の私物化や、私的な場への仕事の侵入、コントロールされる可能性の増加などがある。
そして「Google Glass」が登場する。これは、Ivan Sutherland氏が考えた拡張現実ディスプレイや携帯電話、そしてサイエンスフィクションの系譜に連なるウェアラブルデバイスであり、その登場には、好奇心と興奮、そして恐怖心を伴っている。
2013年後半に、1500ドル未満の価格で、消費者はGoogle Glassを手にすることができる予定だ。われわれは、コンピュータに詳しい人々が、自らのメガネに装着されたGoogleディスプレイに話しかけたり、自分の周囲の様子を写真や動画、音声で記録したりするのを目撃するようになるだろう。
反発は既に起こっている。シアトルのあるバーは、Google Glassを着けて店内に入ることを禁止した。この禁止には、宣伝行為という側面もあったが、Google Glassを取り巻くプライバシーやソーシャルインタラクションのエチケットについての懸念という側面もある。コーヒーを買うために並んでいるときに、人々が携帯電話を使って大声で話したり、Appleの「Siri」や、「Google Voice」に大声で話しかけたりしているのは、十分に嫌なことだ。今後は、人々はGoogle Glass経由でおしゃべりしたり、Google Glassを通して見えるあらゆるものを記録して、Googleのクラウドに送り、対象を絞った、あるいは匿名でのデータマイニングを行ったりするようになるだろう。
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