あの日から1年が経ち、Steve Jobsに何か言いたいとしたら、「Steveが起こしたイノベーションですごく世の中が変わったし、便利になったけれども、もう少し長生きして正しい方向をもっと示さなかったから、みんな迷っちゃってる。何とかしようよ」ということかな。
いまさらながら思うのは、自分がAppleにいた時期は短いけれども、もっと一緒におもしろいことができたんじゃないかなと。その辺は少し残念だ。特に今の日本企業の体たらくを見ていると余計にそう思う。
Appleという企業は、たとえばiPhoneのときには「電話を再発明した」、iMac G5(液晶一体型で薄型の本体にデザインを一新したiMac)などさらに画期的な新しい製品を出すときには、「パソコンを、デスクトップを再定義した」などと言ってきた。なぜこんなことを言ってしまえるのか。人びとの前に新たな価値を提示することで、既存も含めてそのほかすべてのものを瞬時に陳腐化させてしまうのだ。これはAppleの基本戦略のひとつといっていい。
思えば僕は、ラッキーだった。マーケティングを担っていた(日本市場に責任を持つマーケティング担当バイス・プレジデント、日本法人代表も兼務)が、Steveを囲んでテレビCMやクリエイティブなどの最終意思決定のミーティングにはなぜか毎月出させてもらっていた。そこには、ほかは、ワールドワイドのプロダクトマーケティング担当シニアバイスプレジデントであるPhil Schillerやコーポレートコミュニケーションズ担当のバイスプレジデントであるKatie Cottonなどもいた。ある意味特殊なポジションにいたというのもあって、そういう機会をもっとありがたがっていればよかったとふと思うこともある。
どんなミーティングだったか、1つ例を挙げよう。最初の頃のiPod shuffleのパッケージは蛍光グリーンだった。一応ほかの候補で蛍光ピンクというのもあった。しかし、蛍光ピンクはニューヨークで、いまの草食系男子じゃないけど「メトロセクシャル」という男なのにメイクやファッションにこだわる人たちのイメージカラーと同じだからやめよう、という具合に。ほかにテレビCMなど、最終チェックでSteveが却下するというのもあったし、相当な裏話もあった。箱のデザイン1つにしても、そういう最終チェックする場面にいられたから、いま思えばすごく貴重な体験だった。非常にクローズドで、コンフィデンシャルなことばかりだったからね。
そもそも、僕が初めて面と向かってSteveに会ったのは、Appleに入社するときの最終面接だった。その面接の場で、もう二度とこんなチャンスはないかもしれないと思い、「ちょっと写真を撮らせてくれないか」と聞いてみた。そうすると、「ノー」という返事だったが、「おまえが入社できたら撮らせてやる」と言ってくれた。後からわかったことだが、この面接が終わった直後にSteveは人事に入社OKを出してくれていたそうだ。面接後に人事の責任者とランチミーティングした際に、その人から「SteveがもうOK出した」と言われたのだ。僕が「さっき会ったばかりだよ」と言うと、「いや、彼はすぐに決めるんだ。気に入られなければすぐに落とすけどね」と。これが2004年3月のことだった。
そして、4月の初出張のときには、すべてのエクゼクティブに会った。その中のひとり、Apple Storeの生みの親であり、現在J.C.ペニーのCEOを務めるRon Johnsonの部屋に行ったら先客がいて、それがなんとSteveだった。「俺のアポの時間だから出て行けとはいえないな……」と、外で立って待っていたらSteveが見つけてくれて、「入っておいでよ」と。何を話すかと思ったら、話題は銀座のApple Storeのことだった。まだその頃は、銀座のStoreがぱっとしていなかったので「どう思う」と、尋ねられた。僕が「ブランディングという観点ではベストだからいいと思うよ」と答えると、SteveがRonに向かって「He is consumer.」、つまり「彼は消費者感覚で言っているから間違いないよ!」と言ってくれて。
そのとき、部屋を出て行くSteveに僕は「約束したよね?」と言って、最終面接のときの写真を撮らせてもらった。つまり、このときのツーショット写真は、Ronが僕のデジタルカメラで撮ってくれたもの。ものすごく貴重な写真で、宝物だ。もう誰もできないし。まあ、気分を損ねると、いきなりその瞬間にクビを切る人だとは思っていなかったので、気楽に話しかけていたのだが。
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