ソニーとEricssonは2001年、両社ともモバイルデバイス事業が思わしくなかったため、提携する道を選んだ。世界市場におけるソニーのシェアはほとんどないに等しく、Ericsson自体のビジネスは大きな損失を出して苦しんでいた。この提携は、金融負債を削減しながら、ソニーのコンシューマーエレクトロニクスにおける専門技術とEricssonの電気通信および無線技術を結び付けようというものだった。
Sony Ericssonのスタートは幸先のよいものではなかった。注目に値する製品を生産するのに時間がかかり、最初の数年間は採算性の目標を達成することができなかった。
しかし、2005年までに、同社はその本領を発揮する。音楽を中心とした、「WALKMAN」ブランドの携帯電話を生産し、やがて、「Cyber-shot」カメラや「BRAVIA」テレビのブランド名を使用した携帯電話が続いた。
Sony Ericssonは以前からGSM市場に力を注いでおり、インドなどの新興成長市場に注目していた。米国では、AT&TとT-Mobile USAにおいて役割があったが、CDMAキャリアであるVerizon WirelessやSprint Nextelとは関わることがなかった。
Sony Ericssonが見せた進展は、2007年にAppleの「iPhone」が登場すると失われた。2008年10月に公開された最初のAndroidデバイスであるHTCの「G1」が後に続いたが、iPhoneによって、消費者はモバイルデバイスからより多くを求めるようになった。
その間、Sony Ericssonはスマートフォンへの切り替えに苦しんでおり、同社初の「Windows Mobile」搭載デバイス「XPERIA X1」を2008年にようやく発表した。多少の遅れをへて、この製品は市場に出回ったが、米国の市場に影響を与えることはなかった。同時期のWindows Mobile携帯電話機と同様、XPERIA X1のユーザーインターフェースは魅力がなく、「iOS」やAndroidの洗練されたユーザーインターフェースには及ばないものだった。
Sony EricssonがWindows Mobileに取り組んでいる間、同社のライバルはAndroidを採用していった。HTCが最初の企業で、スマートフォン事業に初期の力強い足跡を残している。サムスンはHTCよりも採用が遅かったが、その後、同社の「GALAXY」スマートフォンラインによって、主要なAndroidベンダーとしてHTCを追い抜いている。
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