Jobs氏は何よりも、「Apple II」「Apple II Plus」「Apple IIe」「Apple IIc」、程なくして出た「Apple IIGS」、そしてMacintoshなど、自らのかつての成功が偶然ではなかったことを証明したがっていたようだ。もう一度できるということを見せたいと望んでいた。
それは新しい会社の設立を意味していた。Jobs氏はこの会社をNeXT Computerと名付けている。Appleがシリコンバレーのガレージで控えめなスタートを切ったのとは対照的に、NeXTには資金が十分にあり、Jobs氏はロゴ作成のために、一流デザイナーに10万ドルを支払っている。Jobs氏は7000万ドル相当のApple株を売却して、このベンチャー事業に資金を投じた。同社の当初の目的は、大学専用に設計されたコンピュータを作ることだった(注:筆者は1990年から1991年にかけて、NeXT本社内と米国東海岸において、NeXTのコンサルタントおよび契約事業者として働いていた)。
Jobs氏は、Macintoshを見た目の悪い、箱形のPCクローンとは対照的なものにしようとしたように、NeXTでは、コンピューティングに対する先進的で、より美的なアプローチを実現したいと考えていた。同氏は初期のNeXTチームをピッツバーグに連れて行き、カーネギーメロン大学(後に同社に投資することになる)を訪問したほか、ペンシルベニア州の田舎にあるFrank Lloyd Wrightの有名な落水荘にも立ち寄っている。Jobs氏は、当時は珍しかった、角度調節が可能なモニタースタンドなど、詳細な点にこだわり、その特許を取得している。同氏は、ケースをどんな色調の黒で塗るべきかについてこだわった。マザーボードも、目で見た時に魅力を感じるものである必要があった。
NeXTの工場は、ウッドサイドやクパチーノとはサンフランシスコ湾を隔てたフリーモントにあった。この工場でさえ、上品さと効率性のモデルとなるように考えられていた。Jobs氏は、この工場が当時は新しかったジャストインタイム製造技術をどのように採用しているかを説明して、来訪者を喜ばせた。この工場は、ほぼ完全に自動化できるよう設計されており、NeXTのマシンはさらに大型のマシンで製作されていた。
その結果として生まれた、一辺が1フィート(約30cm)のマグネシウムダイカストでできたキューブは、とても魅力的だった。この「NeXT Cube」は、それまでのどんなコンピュータにも似ていなかった。光沢のある黒色で、当時から見て10年先を行く、素晴らしいユーザーインターフェースを備えていた。絡み合うケーブルはなく、コードが1本だけあって、モニターとCPUを接続するとともに、電源や、ビデオ、音声、マイク、キーボード、マウスの接続の役割を果たしていた。OSは「NeXTSTEP」という名称で、バークレー版UNIXの改良版をベースとして、カーネギーメロン大学から借りた低レベルの機能を備えていた。また、業界がうらやむオブジェクト指向の開発環境があった。
残念ながら、NeXT Cubeは価格の面でも、それまでのほかのコンピュータと異なっていた。Jobs氏は販売価格を9995ドルに設定した。Digital Equipment Corporation(DEC)やHewlett-Packard(HP)、Sun Microsystemsがワークステーションを販売していた当時、1台のワークステーションとしては高すぎる価格ではなかった。しかし大学は、どちらかといえば美的な面よりも、価格や性能のほうに関心があった。NeXTは、大ヒットとなるには価格が高すぎた。インターフェースは速かったが、先駆的な250Mバイトの再利用可能磁気光学ドライブを補うためにハードドライブを追加しようとすると、価格はさらに高くなった。
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