Cubeは大失敗だった。コンピュータ販売チェーン店のBusinesslandでは、最高で年間1万5000台の販売を期待していたが、1989年末まででわずか360台しか売れなかった。自動化された工場はほとんど稼働していなかった。そしてNeXTは、採算が取れないまま、あまりにも速いペースで資金を使い果たしつつあった。Jobs氏の別のベンチャーであるPixarも、やはり苦しい状況だった。
1989年9月、Jobs氏はもう一度挑戦した。「NeXTstation」の発表のために、サンフランシスコのデイビスシンフォニーホールを借りた。NeXTstationは、Cubeのピザボックス型の後継機だった。Cubeほどの拡張性はなく(Cubeには4つのスロットがあり、うち1つはマザーボードが使っていた)、洗練されてもいなかったが、製造コストははるかに安かった。もっと重要なのは、NeXTstationではカラー表示が可能だったことかもしれない。オリジナルのCubeは、2ビットのグレースケールでしか表示できなかった。Jobs氏は別の点では妥協して、3.5インチフロッピーディスクドライブを追加している。
しかし、価格はとても安いとは言えないままだった。NeXTstationの価格はグレースケールモデルで4995ドルからだった。売り上げは上向いたものの、美しくはないが高機能のコンピュータを作っていたSun Microsystemsの売り上げと比べると微々たるものだった。
1991年になって、NeXTの販売不振が明らかになると、かつては偶像視されていたこの起業家は酷評された。Forbesの記事は次のように書いている。「ビジネス界に奇跡を起こせる人は非常に少ない。Steve Jobs氏がその1人でないことはいまや明らかだ。NeXTのワークステーションが派手なプレスイベントでデビューしてから3年たった現在、36歳のJobs氏は深刻な問題を抱えている。市場調査会社International Data Corp.のバイスプレジデントのVicki Brown氏によれば、NeXTは設立以来、わずか1万5000台しか販売しておらず、これはSun Microsystemsの1年の販売台数の10%をやや上回る程度だという。NeXTの販売台数の大部分は、学校への大幅な割引販売によるものだが、具体的な割合は不明だ」
NeXTとPixarのバーンレートは非常に高いままだった。劇的な変化がなければ、Jobs氏には破産の危機があった。一方、Jobs氏の長年のライバルであるBill Gates氏には、何十億ドルという財産があった。
その劇的な変化が訪れたのは1993年、NeXTがハードウェアの製造中止を決めたときだ。Tim Berners-Lee氏がWorld Wide Webの開発に使用し、一人称シューティングゲームの「DOOM」を生み出した優美なCubeは、過去の遺物になろうとしていた。NeXTはその先駆的なソフトウェアの改善は続けたが、市場で成功したとは言いがたい。
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