この時点で、Jobs氏はメディアからほとんど注目されなくなっていた。その状況はJobs氏の別の会社であるPixarが「トイ・ストーリー」を公開するまで続いた。1995年11月のPixarの新規株式公開(IPO)によって、Jobs氏は一夜にして億万長者になる。(Jobs氏の実の妹であるMona Simpson氏がこの頃に書いた本には、Jobs氏の横顔が見え隠れしている。この本の出だしの文句はこうだ。「彼はトイレの水を流す暇もないほど忙しい人だ」)
当時は明確ではなかったが、それはSteve Jobs氏復活の始まりであり、米国のビジネス界における偉大な第2幕の幕開けとなった。Appleは1996年12月、NeXT(当時はNeXT Softwareと呼ばれていた)を4億ドルで買収することを発表した。Jobs氏は「顧問」になり、Appleの会長兼最高経営責任者(CEO)だったGilbert Amelio氏に直属することになった。1997年7月にAmelio氏が退任すると、米CNETが当時報じたように、Jobs氏は「Appleの取締役会と経営幹部陣に対する重要なアドバイザーとして、より幅広い役割」を担った。
リーダーの刷新のほかに、Appleにはもう1つ問題があった。MacintoshテクノロジはもはやMicrosoftのテクノロジをしのぐものではなくなっていた。「Windows 95」はMacの特徴の多くを取り入れて、紛れもない成功を収めており、これに「Windows 98」が続いた。さらに、Windows PCは非常に高性能な「Pentium」チップを搭載していた。一方のAppleは、製品の種類が多すぎることと、クローンメーカーとの競争に苦しんでいた。さらに悪いことに、同社は赤字を抱えていた。
「わたしならどうするだろうか。廃業して株主にお金を返すだろう」。Michael Dell氏は1997年、数千人のIT企業幹部に向かってこう語っている。
Jobs氏はすぐにクローン作成をやめさせた。さらにJobs氏の復帰から1年以内に、Appleは画期的な「iMac」を発表している。しかし「Mac OS X」へと姿を変え、本格的なマルチタスクなどの機能や、優れた開発環境、UNIXの安定版をベースとした高度なインターフェースを取り入れることによって、切望されていたAppleの技術面の強化を実現したのは、NeXTSTEPだった。OS Xは最終的には2001年に登場し、これにiPod、小売店、「iTunes Store」、iPhone、iPadが続いた。
皮肉ではないか。ある人物による完全さの追求と、自分が設立した会社から解雇されたことへの怒りから生まれたOSが、Michael Dell氏が予言した運命からAppleを救ったのだ。歴史の展開が少し違っていたら、そしてJobs氏が1980年代後半を、自分の庭の手入れや欧州旅行で費やしていたら、Appleはもはや存在しなかったもしれない。また、コンピュータ業界も現在とは全くかけ離れた場所になっていただろう。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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