しかしその後の数カ月で、開発者は脱獄(jailbreak)プロセスによっていかに簡単に非公式のアプリケーションを作成できるかを知った。だがHockenberry氏によると、ソフトウェア開発キット(SDK)への動きは避けがたいものであり、2008年3月にようやくAppleがSDKをリリースする準備を整えたとき、開発者は1組みのツールとテクノロジを手にしたという。それは「Mac OS X」に見られる成熟したテクノロジの多くをiPhoneに流用したものだった。
「ツールセットのすべてと、Macソフトウェアの開発からiPhoneソフトウェアの開発へ簡単に移れることに最初からとても感心した」(Hockenberry氏)
それでも開発者がモバイルプラットフォームの制約のもとでの開発と、PCやMacのための開発との違いを理解するにはある程度の学習期間が必要だったが、iPhoneのOS XとMac OS Xが密接な関係にあったことで、開発者はたやすく始めることができた。
AppleにはiPhoneアプリケーションの配布に大きな強みがあった。音楽であれ、映画であれ、アプリケーションであれ、結局のところ情報は情報であり、非常に多くのコンピュータにすでにインストールされ、よく知られているフレームワークである「iTunes」でiPhoneアプリケーションを配布できるようにしたAppleは賢明だった。
またAppleは、iPhoneアプリケーションの独占配布権を保持しており、どのアプリケーションがApp Storeに適していて、どのアプリケーションが適していないかを自由に決めることができた。そのアプローチを取るには立派な理由があった。Facebookの不正アプリケーションに関する最近の騒動が示すように、開発者にプラットフォームへの自由なアクセスを認めるのは、必ずしもよいアイデアだとは限らない。
しかし、Appleの厳しい配布管理は、分かりにくい方法で行われてきた。
Comm氏とInfoMediaは、iFart MobileをApp Storeに申請する準備を整えたが、同じ日にライバルのおならアプリ「Pull My Finger」が却下された。そこでInfoMediaは申請を数週間延期することにして、最終的にiFart Mobileを再申請したとき、驚いたことにAppleはiFart Mobileを「レビュー中(In Review)」カテゴリ(Comm氏はこれを「iTunesの煉獄」と呼ぶ)として受理したのだ。この時にAppleから補足的なコメントはなかった。後日iFart MobileはPull My Fingerとともに承認され、iFart Mobileは一時期App Storeで最も売れているアプリケーションの1つとなった。
要は、ある日にはApp Storeへの登録が認められなかったおならアプリが、別の日には登録できるようになり、Appleはその理由を説明しなかったということだ。iFart Mobileのダウンロードが40万件を越えた現在では、Comm氏は気にしていないが、AppleによるiPhoneの厳しい配布管理は、開発者にとって喜ぶべきことでもあり、呪わしいことでもある。
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