上場したグリー社長に訊く、売上高9倍成長の秘密 - (page 3)

永井美智子(編集部)2008年12月18日 00時00分

――創業から今までの4年間で、最大の転機は何ですか。

 モバイル版のサービスを始めたことは大きなターニングポイントですね。そもそも2004年は個人としてサービスをやっていましたし、2005年は正直、会社を作って机を買ってきて、「面接ってどうやるんだっけ?」と思いながら面接して……というので1年が過ぎてしまった。

 2006年になって、ベンチャーキャピタルからの投資も受けて、やっと会社として準備が整ってきたから、次はどうやって事業を成長させようかと考えたときに、5年くらい先を見据えた上で次はモバイルサービスだと思ってモバイル版を作った。

 そういう意味で、何かを生み出せるというアイデアと、実行できるという体制が両輪で初めてかみ合った瞬間が2006年くらいだったというところですね。

 僕がインターネットのビジネスってすごく面白いなと思ったのは1990年代後半だったんですが、当時はインターネット業界というものがそもそも存在しなかった。そのときもどうやってやったら良いかなんて答えはどこにもないまま、業界ができるのを待っていたりすらしたんですよ。

 そういった意味で、どうやったらできるかよくわからないものに挑戦していくというのは、答えが最初から思いつかなくても、やり続けたり、探し続けたりすることが重要かなとは思っていますね。

 あとは人との出会いもあります。

――元グロービス・ キャピタル・パートナーズ パートナーの小林雅さんが自身のブログ(VENTURE VIEW参考記事:「ベンチャー投資の視点 - ビジネスモデル」)で、グリーに投資した時の話を書いておられましたが、それも出会いの1つですね。

 当時、社員が数人しかいなくて、売り上げもそんなにない、しかも26歳くらいの人がやっている会社に、「この会社には10億円くらいの価値がある」といって1億円くらい投資した。当時「それは高いんじゃないか」と言う人もたくさんいたけれども、小林さんは「田中さんと(グリー取締役副社長の)山岸さんが何とかするんじゃないですか」という感じでした。

 僕はそういうものだとも思うんです。いろいろ考えたって、当時モバイル版を始めるなんて誰も思っていなかったですし、どういう社員が増えるかもわからなかった。ただ、可能性に賭けたということだと思います。僕もその期待に応えないといけないということでやってきました。

 もともと山岸は小林さんと知り合いでしたし、僕も山岸もグロービスの仮屋薗(聡一)さんとは大学の頃から知り合いだったという縁もありました。

 当時、よくわからない会社に1億円投資する人がいたから、グリーがあるということは間違いない事実なんですよね。そこで得た資金で1年間、ちゃんとした会社を作って、「じゃあ何しようか」と思えて、次はモバイルサービスかなと思った。その1年間があったから決断ができました。

 お金がないと純粋に何もできないですからね。そういう意味で、収益を上げていくということは、良いサービスを作るうえで非常に重要だと思っているんです。

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