「情報通信省」ははたして必要なのか

 菅義偉総務大臣が構想を明かした「情報通信省」(仮称)の設立が話題になっている。総務省、経済産業省、文部科学省、内閣府がそれぞれ持つ情報通信関連の担当部局を統合し、情報通信行政を一手に担う役所を設けようという考えだ。

 情報通信省という構想自体は、ちょうど10年前の1997年の橋本龍太郎内閣のときに最初に出てきた。行政改革会議で中央省庁再編の話が挙がり、1府22省庁を1府12省庁に数を減らすことを大原則に議論が進められたなかで、情報通信省の構想が浮上した。結局、構想自体はそのまま終息してしまったが、今回、改めてその話が浮上したわけだ。

 1997年の橋本内閣の時に出てきた情報通信省構想は、郵政省(現:総務省)の解体にまつわる議論の中から生まれたものだった。郵政省の郵便業務を郵政公社にするとともに、米国の連邦通信委員会(FCC)のように情報通信行政を政府の外部機関となる独立委員会で取り扱うようにしたいというのが当時の考えだった。

 独立組織を設立するということは、行政として不必要な分野だということを意味する。当時私は郵政省に所属していたが、私自身は情報通信の分野は政府の中枢に置くべきものだと考えていた。

 情報通信行政を独立組織が扱うようにすると、具体的にどんな点が問題なのか。それはまず、政府のコントロールきかなくなってしまうということだ。さらに、国際間の折衝をする場合に政府として有効な施策が取れないという問題が生じるおそれもある。

 省庁再編時には情報通信省構想は実現せず、情報通信行政は総務省の管轄となった。これにより、その後の10年間の行政はブロードバンドやデジタル放送の整備、e-Japan構想の推進など、他の国に比べて成功していると評価できる。特に、総務省という政府の中枢に情報通信行政が置かれ、端的に言うなら、片山虎之助氏や竹中平蔵氏といった有力大臣が中心となったことで、情報通信行政の優先順位が政府のなかで高くなり、政府としてのけん引力を発揮できた面があるだろう。

組織論による省庁再編は意味がない

 省庁再編の話はつい組織論になりがちだ。でも実は、組織のあり方は二の次の問題で、大事なのは、今後10年、20年で日本政府が情報通信の分野においてどんな仕事をするのかを整備することだろう。つまり、例えば遠隔教育や電子政府、警察、外交など、政府全体で検討しなければならない情報通信に関連する問題を全部洗い出し、今後10年間の日本政府としての業務をまず取りまとめることだ。それを取り仕切る組織のあり方は最後に決めるものになるはずだ。そういう意味でいうと、2006年に盛んに議論された通信と放送の融合や著作権処理などの問題は重要であり、それらをどう扱うかによって情報通信省の要、不要が決まるのではないだろうか。

 現在の総務省が抱える問題点は、組織が大きすぎて対応が遅いという点にある。情報通信省構想の推進派の狙いは、現在の組織をスリムにして対応を早めたいというのがまずあるだろう。コンピュータ行政や著作権行政をひとまとめにし、ひとつの組織で機動的にできるのであれば、新しい組織で一斉にまとまってやるほうがいいという考え方になる。

 しかし、現在主に情報通信行政を司る、総務省と経済産業省をひとつの組織にしたとしても、局同士の対立は避けられず、意見対立というのはどの場合でもあり得る。だから、組織としてひとつにしたほうがいいのか、別にして意見調整をしたほうがいいのかという話は、結局のところ組織論にすぎない。

 それよりも重要なのは、今やっている政策で必要なものと不要なものを改めて問うことではないだろうか。例えば、産業の研究開発や人材の育成のような公的事業は絶対必要だけれど、産業を支援するというような、戦後ずっと通商産業省(現:経済産業省)がやってきた行政が情報通信の分野にまだ必要かということだ。

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