コロナ禍の真っ只中にあった2020年7月に、当時官房長官だった菅義偉氏の一声から一気に注目を浴びることとなった「ワーケーション」。しかし2024年12月現在、この言葉が世間を賑わすことはほとんどない。
一方で、ワーケーションの実績がさまざまな結果に結びついている地域もある。今回は、2020年7月以前からワーケーションに関する事業に取り組んでいる長野県と長崎県五島市の変遷を取材。そこから見えてきた、ワーケーションの活用を成功させる勘所と、今後の勢力図を左右する要因についてお伝えする。
いずれもワーケーション先進地域として名高い長野県と長崎県五島市。まずは両地域が行ったワーケーションに関するこれまでの取り組み内容を整理しよう。
長野県が本格的にワーケーションに取り組んだのは2018年。「軽井沢リゾートテレワーク協会」が立ち上がった年だ。そして同年冬には、長野県が「信州リゾートテレワーク」として、県内各自治体で展開するワーケーション事業を支援する取り組みを立ち上げた。
県では、ビジネスを通して関係人口を創出する観点から、「非日常の中で仕事をすることで生産性を上げる」というブランディングを包括的に展開していたものの、具体的な施策や目的については各自治体に任せていたという。
産業労働部が主体ということもあり、主に法人をターゲットに、チームビルディングや越境学習の場所として活用してもらうこと、そしてその前提として地域と、都市部のビジネスパーソンとのつながりをつくっていくことが大きなねらいだった。
設立から7年。現在もターゲットやねらいは変わっていない。むしろ長年ブレない姿勢が功を奏し、今や実践者やワーケーション事業者の間で長野県は「ワーケーションの雄」として知られる地域となった。当初のねらいだったチームビルディングや越境学習の場としての利用も増えたという。
また、長野県ではワーケーションという言葉を使ったブランディングを当初から行っていなかったという。それは法人向けにブランディングをしていくうえで、バケーションのイメージが強い「ワーケーション」が適さないだろうと考えていたからだ。
一方の長崎県五島市は、取り組み当初から個人を対象としたワーケーションを展開している。きっかけは2019年に、「Business Insider Japan」主催で行われたテレワークの実証実験だった。交通費や宿泊費が参加者負担だったにもかかわらず、応募者数は定員を大幅に超える140人に上り、そのうちの50人が五島市でのワーケーションを満喫した。
その後2020年の冬には、五島市の事業として1回目のワーケーションを、あえて閑散期の冬に実施。にも関わらず、参加者は62人にも上った。五島市役所 地域振興部 地域協働課の谷一也氏はこう語る。
「この回の平均宿泊数は4泊でした。これは五島市の平均宿泊数である1.5泊の2倍以上です」
こうして好調な出だしを見せた五島市のワーケーションだったが、2021年はコロナ禍での中止を余儀なくされる。しかし、ワーケーションを再開した2022年は、年3回の実施で計150人が参加。ワーケーションの種火がコロナ禍中も燃え続けていたことを証明する結果となった。
そんな五島市では現在、子どもとともにワーケーションに訪れる人が増えているという。
「2019年からワーケーションで来てくれたお子さんを、一時保育や地元小学校への体験入学という形で受け入れていましたが、当時の体験入学利用者は2人でした。しかし2023年は、小学校だけで8人の受け入れ実績があるなど、需要が伸びています。来てくれる子どもたちはもちろん、地元の子どもたちも、毎回どんなお友達が来るのか楽しみにしていると聞きます」
こうした実績によるものなのか、五島市は離島にもかかわらず、2019年、2020年、2023年は転入者数が転出者数を上回る社会増を達成している。
一見全く異なる軌跡を描いているように見える2地域だが、話を進めるうちに、いくつかの共通点があることに気づいた。それはハードではなく、人とコミュニティ、コンテンツというソフト部分に重点を置き、来訪者と地域との関わりしろを広く持っていることだ。
例えば長野県立科町は、開発合宿や集中合宿に特化したワーケーション受け入れを行っているが、目的に応じた宿やプランを作っているのは、渡邉岳志氏という現地のコンシェルジュだ。ホワイトボードやプロジェクター、付箋など合宿に必要な備品を事前にヒアリングして準備してくれるほか、目的達成のための理想的な滞在プランを一から作り込んでくれる。
無理に観光要素は入れないが、仕事をしながら立科の自然を感じられる環境を準備してくれたり、会議が煮詰まったタイミングで息抜きのためのアクティビティを提案してくれたりと、合宿効果を最大化しながら、地域の魅力にも触れられる体験を提供しているのだ。
実際に、2020年度は8組52人だった利用者は、2023年度は33組503人に上っている(2022年11月11日 総務省 信越総合通信局 主催 テレワークセミナー in 信越資料より)。渡邉氏の柔軟な対応と柔和な人柄が、この地に多くの企業を呼び寄せているといえる。ワーケーション社労士として知られる岩田佑介氏も、自身の著書「経営戦略としてのワーケーション入門」(金融財政事情研究会)の中で、渡邉氏の魅力の一つに「絶妙な距離感」を挙げている。まさに法人が求めるコンテンツと人が揃っていると言えるだろう。
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また長野県には、人とコミュニティを関わりしろとする地域が多数ある。自治体ごとに取り組み方が異なる分、人×コミュニティ×コンテンツという関わりしろの数は増えていく。それらを信州リゾートテレワークという形でトータル提案し、発信できていることが、長野県の強みと言えるだろう。
一方で五島市は、一貫して来訪者と地域住民との交流に力を入れてきた。それは地域住民と来訪者との間に継続的な関係性を構築するためだ。参加者が飲食を持ち寄って参加するポットラックパーティーや、訪問者が持つビジネススキルを地域住民に伝授してもらうようなワークショップの開催は、迎える人と訪れる人両者の関わりしろを増やすきっかけとなっている。
また、2022年のワーケーションでは、あえて不便な場所に身を置くことで「人間として豊かな働き方」について豊かな余白を持ちながら考える企画を、翌2023年には五島市の地域課題に向き合う企画を盛り込むことで、ワーケーション未体験者の獲得にも成功している。
合わせて、コミュニティの存在も忘れてはならない。2020年からワーケーションに取り組む宮崎県日向市では、2023年に日向市ワーケーション推進会議を発足。官民連携のコミュニティを構築し、コンシェルジュやプログラム担当、事務局など地域として面で企業を受け入れながら、持続可能な仕組みとしていくために中心人物の世代交代にも取り組んでいる。日向市ではデジタルノマド誘致にも積極的に取り組むなど、コミュニティとしての強みを生かした展開を行っている。
筆者は昨年「2023年のワーケーションと2024年の動向を探る--ワーケーションは『オワコン』か」の記事の中で、地域のコミュニティがワーケーションの入口になっている側面があると述べた。これは、その地に関わるコミュニティにアプローチしたほうが、地元住民との関わりしろを作りやすいからにほかならない。
関わりしろを広げることで、コミュニティをビジネスに生かす動きも出ている。2024年2月には、日本のマーケティング業界におけるコミュニティマーケティングの普及促進を目的とした「一般社団法人コミュニティマーケティング推進協会」が立ち上がった。コミュニティを「単なる同志の集まり」ではなく、目的達成のための手法として活用することが、ビジネスシーンでも求められていることの現れだろう。
ビジネスとコミュニティは対局の関係にある、という時代は、すでに終わりを迎えているのだ。
コミュニティの重要性は、デジタルノマドにも共通している。デジタルノマドの聖地と言われるスペイン・カナリア諸島でコリビングサービス(シェアハウスとコワーキングスペースを併せ持ったもの)の「Repeople」を提供するNacho Leon Rodriguez氏は、日本のデジタルノマドであるAkina氏によるインタビューの中で、このように答えている。
「たとえ初めてカナリア諸島を訪れたとしても、Repeopleならすぐに素晴らしいリモートワーカーのコミュニティとつながることができます。コミュニティが構築されていない場所だと家に帰るまで孤独を感じることがありますが、ここではコミュニティが歓迎してくれます。だからこそ、新たに訪れたデジタルノマドたちもこの場所をすぐに楽しむことができるんです」
今回ご紹介した2地域以外にも、ワーケーションの聖地と言われる和歌山県など、ワーケーション先進地域と呼ばれるところはいくつも存在し、いずれも「人・コミュニティ・コンテンツ」という関わりしろに重きを置いている点か共通している。これらを目的をもって運用、活用し、それぞれを目的ではなく武器として扱えるかどうかが、ワーケーションを活用した目標達成のために重要なポイントと言えるだろう。
これは、現在ワーケーションの訪問先として認知されていない地域にも同じことが言える。筆者はさまざまな地域を訪問させていただくが、「なぜここがワーケーション地として知られていないのか」と思うほど、人とコミュニティ、コンテンツの揃っている地域があるのだ。
多くの場合、地域側がこれらの関わりしろの重要性に気づいておらず、発信やブランディングがされていないことが原因だ。今後、デジタルノマドの増加や親子ワーケーションのさらなる需要増が見込まれる中で、こうした地域が今後ワーケーションの勢力図を大きく変える可能性は十分にある。
逆に、現在勢力の強い地域であっても属人的な運営が常態化してしまっている地域は、今後数年で姿を消す可能性が高いだろう。人やコミュニティといった部分は、ともすれば属人的になりがちだ。ワーケーションを持続可能な手段として活用していくためには、世代交代を視野に入れた活動ができているかが問われる。宮崎県日向市は、まさに世代交代へのチャレンジの真っ只中だというのは、先に記したとおりである。危機を感じているところは、着実に次の世代にバトンを渡し始めている。
2020年7月、観光戦略実行推進会議で菅氏がワーケーションという言葉を発してから約4年半。ワーケーションが真の意味でオワコンになるか、勢力図が変わるかどうかは、3つの関わりしろを持ち、目的達成のために活用すること、また世代交代ができるかどうかにかかっていると言えるだろう。
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