今日、「Google」ほどあちこちで見かける名前は、そう多くない。もはやただの企業名ではなく、「ウェブ検索する」と同義の動詞にもなっている。その歴史をひもといてみよう。
1995年、技術者の間でウェブが普及した。人々は、それを介して検索する方法が必要ということに気づく。筆者は当時、すでに検索のベテランだった。それ以前から、インターネットの前身に当たる「ARPANET」を使っていたからだ。1995年頃の検索ツールは、一言で言うと、ひどかった。
にもかかわらず、それ以前のツールに比べれば、優れていた。ものを書くようになる以前、筆者は「NASA/RECON」「Dialog」「OCLC」といった初期のオンラインデータベースシステムを研究に使って大学院時代を送っていた。その後、インターネットが成熟すると、「archie」や「Gopher」、あるいは「Wide Area Information Server(WAIS)」といったネットワークプログラムで検索が可能になった。
だが、ウェブが出現すると、もっと高性能で簡単に使えるツールが求められるようになる。最初に人気を博したのは、検索エンジンそのものではなく、インターネットのディレクトリ、すなわち今の「Yahoo」のようなものだった。ウェブサイトのクロール、インデックス機能、検索を組み合わせた真の検索エンジンは、1993年に使われ始めた「JumpStation」が最初だ。学術用で、一般にはあまり知られていなかった。
JumpStationに続いて、翌1994年には次々と他の検索エンジンが登場する。登場順に書くと、「Infoseek」「WebCrawler」「Lycos」だ。そして、1995年の終わりに「AltaVista」が公開され、すべてが変わった。検索エンジンとして、初めて圧倒的優位に立ったのがAltaVistaだった。
AltaVistaは、現代のGoogleユーザーでもひと目で分かるくらいシンプルな検索ボックスを備えたインターフェースで、検索に革命を起こした。情報がどこにあるか知らなくても、ブール式を使いこなせなくても、人々はにわかにウェブ上で調べたいと思ったことを何でも検索できるようになったのだ。
全盛期は1996年から1997年と短かったが、AltaVistaは誰もが使うツールだった。運営元のDECは、検索以外のインターネットサービス、例えばPCやサーバーで使えるローカル版のAltaVistaや、メールサービスも提供するようになる。今よく知られている、どこぞの検索企業大手と似たような展開だ。
では、「彼のことアルタビスったけど、私たちには合っていないみたい」などと誰も言わないのは、なぜだろう。決して、最初からGoogleの方が優れていたわけではない。あいにくAltaVistaは経営がお粗末で、しかも運営元がたびたび変わり、5年間で実に5社が関わるほどだった。
それは、AltaVistaにとっては不運で、スタンフォード大学の2人の大学院生、Larry Page氏とSergey Brin氏にとっては幸運なことだった。2人の出会いは1995年だったが、最初から気が合っていたわけではない。だが翌年になる頃には、関心に共通点があることが分かり、学生寮の部屋でウェブ検索エンジンの開発に取り組み始める。まだ、「Backrub」という冴えない名前だった。
幸い、プロジェクト名はすぐ「Google」に変わった。元になったのは「googol(グーゴル)」という単語で、1の後ろにゼロが100個続く数字を表す言葉だ。
名前を変えても、それだけでGoogleの知名度が上がることはなかった。決め手になったのは、World Wide Web上の膨大な情報を整理してランク付けする新しい仕組みを開発したことだ。当時の検索エンジンは、ページに検索キーワードが出現する回数を基準にしてウェブサイトのランクを付けていた。だが、Page氏とBrin氏はこの方法に欠陥があると考える。この方法だと、最も関連性の高い結果が出てこないからだ。
それに代わるものとして2人が考案した革新的なアイデアが、「ページランク」というアルゴリズムである。Larry Page氏の姓にちなんだ名前で、その原理は単純でありながら画期的だった。ウェブページの重要度は、そのページを参照しているリンクの数によって決まると考えたのだ。言い換えるなら、他のウェブページからたくさんリンクされているほどページの重要度は高いとされ、特にリンク先のページ自体も重要度が高いと評価されていれば、なお高くなる。
当初は「Java」と「Python」で書かれ、「Sun Ultra」ワークステーションと、「Intel Pentium」搭載の「Linux」コンピューターで稼働したページランクは、ウェブ検索の世界を一変させる。単にキーワードの出現数を数えるのではなく、ウェブページの質と関連度を評価したからだ。このアプローチの方が、検索結果の精度も利便性も高い。こうして、当時の他の検索エンジンを圧倒するようになるGoogleの歴史が始まった。
Googleで初めて実行された検索は、AltaVistaとの差を見せつけることになった。このときの検索キーワードは、当時のスタンフォード大学学長の名前、「Gerhard Casper」だ。結果は歴然。AltaVistaで検索結果として表示されたのは、アニメのキャラクター、陽気なおばけの「Casper」だったが、バージョン0.01のGoogleでは、正しく学長が表示されたのである。
この発明の可能性に気づいたPage氏とBrin氏は、最初の資金調達を試み、1998年8月、Sun Microsystemsの共同創業者であるAndy Bechtolsheim氏から初めて10万ドル(当時のレートで約1430万円)の投資を受けた。この投資を利用して、カリフォルニア州郊外のメンローパークにガレージを借りる。所有者は、2人の友人であり、その後まもなく16番目の従業員となるSusan Wojcicki氏だった。こうして、1998年9月4日、Googleが誕生する。
2人がまず向かったのは、毎年開催される巨大イベントの「バーニングマン」だった。これに参加することが、当時もテクノロジー業界の流行だったのだ。自分たちがこのフェスティバル参加のため不在になることをサイトの訪問者に伝えるため、バーニングマンという名の通ったキャラクターをロゴにあしらうことにする。これが最初の「Google Doodle」になった。今では、バーニングマンフェスティバルの株式の半分以上をGoogleが保有している。
この新しい検索エンジンの検索結果が素晴らしいという評判が、たちどころに広まる。1999年5月、筆者もPC Magazineにこう書いている。「Googleは不思議なほどの優れた技術で、極めて関連度の高い結果を返してくる」
1999年の終わり頃には、Googleの検索クエリー処理件数が1日あたり300万件を突破。分かりやすいインターフェース、超高速の検索、関連度の高い検索結果で、Googleはたちまち全世界のインターネットユーザーが頼る検索エンジンとなった。勝負になる相手は1つもない。AltaVistaも2010年までなんとか対抗しようとするが、検索サービスとしてはすでに機能していなかった。
皮肉なことに、初期の検索エンジン業界でもう1つの雄だった「Excite」は、1999年に破格の75万ドル(当時のレートで約8600万円)でGoogleを買い取るチャンスがあった。だが、Exciteの最高経営責任者(CEO)だったGeorge Bell氏が、Page氏とBrin氏の申し出を断った。これは、史上最大の、テクノロジー企業買収失敗事件と言えるかもしれない。
もちろん、キーワードベースの広告を売り出すことでGoogleが検索を金脈に変えるようになるのは、2000年になってからだ。ライバル各社がドットコムバブルの崩壊で行き詰まる中、同社は富を築いていった。
ポップカルチャーにもGoogleの名が浸透し始める。2002年に放映されたテレビドラマ「バフィー ~恋する十字架~」のエピソードでは、主人公のバフィーに親友ウィローが「彼女のこと、もうググった?」と尋ねるシーンがある。2006年までに、「Google」という単語が動詞としてオックスフォード英語大辞典に採用されている。
しかし、Googleの躍進は検索と広告業にとどまらない。企業の成長に伴って、その野心も大きくなっていった。同社はさまざまな革新的製品やサービスを発表するようになり、2004年には「Gmail」の提供を開始。買収を経て2005年には「Googleマップ」と「Android」オペレーティングシステムをリリースしている。そうしたサービスが増えるごとに、テクノロジー革命の最前線という同社の立場はさらに強固なものになっていった。
2004年、Googleはテクノロジー業界史上、特に待ち望まれていた新規株式公開(IPO)を果たす。このIPOで財政基盤も盤石となり、同社はスタートアップから大手法人へという転身を遂げたのである。現在のGoogleは、Alphabetという持株会社のもと、時価総額が1兆7000億ドルを超えている。2004年8月19日のIPOの時点で、例えば1000ドル分の同社株を購入していたとしたら、その価値は今、100万ドルを超えていることになる。
万事が順調だったわけではない。それなりに問題やスキャンダルは発生している。「Don't be evil(邪悪にならない)」というのは、IPO当時からのモットーであり、企業としての行動規範でもあったが、今や抱負というにはあまりにも皮肉に響く。
規模が拡大するにつれて、Googleはプライバシー、データ収集、独占禁止法に関わる問題を抱えるようになった。その広大なリーチと影響力が、ユーザーのプライバシーにとっても市場の競争にとっても、脅威になりうるという批判も出ている。
生成系人工知能(AI)、特にMicrosoftとOpenAIの「ChatGPT」の台頭で、Googleもついに検索業界の王座を追われるのではないかと考える向きもある。だが、調査会社Statistaによると、2023年7月の時点で、Googleは依然としてデスクトップ検索市場で83.49%のシェアを占めているという。OpenAIの技術を搭載した「Bing」が、全世界のデスクトップ検索市場で9.19%と成長を見せているものの、Googleがトップの座から陥落する恐れはまだない。
Googleは誕生から25周年を迎えた。次の25年も、容易に乗り切るのではないだろうか。好むと好まざるとにかかわらず、もはやGoogleの製品やサービスはわれわれの生活の大きな一部となっているからだ。
この記事は海外Red Ventures発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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