私たちはVRを正しく使っているか?--犯罪や差別の問題に取り組む専門家に聞く

Rajiv Rao (Special to ZDNET.com) 翻訳校正: 編集部2023年09月05日 07時30分

 Appleから3499ドル(約52万円)の新型ヘッドセットが発表されるなど、拡張現実(AR)と仮想現実(VR)を取り巻く環境は盛り上がりを見せている。しかし現実的に考えると、この分野はまだかなりニッチだ。各社のヘッドセットはどれも高価で、形も洗練されているとは言いがたい。装着して30分もすれば、酔って気分が悪くなる人が続出する。この技術を使って、記憶に残る体験を生み出しているゲームもまだほとんど存在しない。

 VRは今後もニッチなテクノロジーの域にとどまるのだろうか、それとも新しい、適切な使い道が登場するのだろうか。

 米CNETの姉妹サイトである米ZDNETは、スタンフォード大学バーチャル・ヒューマン・インタラクション・ラボ(VHIL)の創設者で初代所長を務めるJeremy Bailenson氏に話を聞く機会を得た。同氏はAR/VR分野のパイオニアだが、元は認知心理学の研究者だった。その後、バーチャル空間での体験が人間の自己認識や他者認識に与える影響を研究するようになった。

Jeremy Bailenson氏
Jeremy Bailenson氏
提供:Caltech

 Bailenson氏のラボでは、人々がバーチャル空間で集うためのシステムの構築や研究を通じて、社会的交流の性質がどう変化するかを探求している。同氏はStrivrという会社も経営している。同社が手がける「Immersive Learning Platform」(没入型学習プラットフォーム)は、JetBlueやWalmartといったフォーチュン500企業をはじめ、さまざまな自治体や非営利団体にも採用され、従業員向けの研修・教育プログラムや、環境保全、共感性、健康を改善するプロジェクトに活用されている。

 同氏によれば、VR企業はAR/VRをエンターテインメントやコミュニケーションに活用しようとしているが、AR/VRは難しい社会問題の解決にも活用できるという。同氏はVR体験ドキュメンタリーも制作しており、うち6本はトライベッカ映画祭に正式出品されている。また、ラボが手がけたVR作品はスミソニアン博物館からスーパーボウルの会場まで、さまざまな場所で展示されている。

--まずは簡単な自己紹介をお願いします。

 私の博士号は認知科学です。学位論文は、心の働きに関する数学モデルの構築に関するものでした。この論文を書くために、人間を使った実験をしたり、思考、意思決定、推論のプロセスを研究するために低レベルのAIを構築したりしました。その時、認知科学者になるのをやめようと決めました。どうしても研究内容に興味を持てなかったからです。

 当時は「ニューロマンサー」というSF小説を読んでいました。知的ではないかもしれませんが、知覚的には紛れもなく本物に思える体験を作り出すという発想に、心をわしづかみにされました。この小説は、テクノロジーの時代に人間として生きることの意味を再定義しました。この本の影響もあって、研究者としての方向性を見直そうと決め、カリフォルニア大学サンタバーバラ校でポスドクになりました。この4年間にハードウェアの作り方を学び、スタンフォード大学の今の研究室に落ち着きました。

--当時のAR/VRは、新たな可能性を秘めた新しい世界として、どのように論じられていましたか?

 当時の理解は今とはまったく違いました。消費者向けのVRという発想はなく、VRはあくまでも研究の道具でした。そもそも、私が所属していたのは心理学科です。ポスドク時代は、VRを現実のシミュレーションに活用することで、さまざまな社会的状況下での人間行動を研究していました。

 つまり、VRはあくまでも研究のツールでした。当時のVRはMRI装置のような存在でした。専用の部屋が必要で、巨額の費用がかかり、訓練を受けたエンジニアがいなければ動かせません。当時のVRは、人々が今イメージするようなエンゲージメントや娯楽、コミュニケーション、教育のためのものではなく、「それ自体が研究対象となる特別な存在」でした。

--しかし現在では、ほとんどの人がVRをエンターテインメントに活用しようとしているようです。

 その通り。これは驚くべき変化です。2022年には1000万台のヘッドセットが販売され、その90%はMetaや字節跳動(バイトダンス)のようなソーシャルメディア企業が販売したものです。中心的な用途はエンゲージメント、エンターテインメント、そして若干のコミュニケーションです。コンテンツプラットフォームが主導するハードウェアというのは、メディアの歴史上、あまり類を見ません。

--Appleの新しいVRヘッドセットをどう思いますか?

 ビデオパススルーとアイトラッキングにほとんど遅延が見られない、優秀なハードウェアだと思います。視線を素早く簡単にキャリブレーションでき、画像も鮮明です。しかし、VRの課題は技術的な部分にはありません。問題はユースケースであって、VRが提供する体験です。

--現在のVRはどのように使われていますか?。

 家電量販店に行けば、300ドル(数万円)程度のヘッドセットがたくさん並んでいます。今週、ビデオゲームをVR環境でプレイした米国人は何百万人もいるでしょう。しかし、私がVRに期待しているのは、難しい問題を解決すること、壊れたものを直すことです。少なくとも米国ではビデオゲームは壊れていません。

 優れたビデオゲームの開発は、米国がたいていの国よりうまくできることです。VRを使わなくても、優れたビデオゲームは作れます。VRは必ずしも必要ではありません。

--ビジネス戦略に欠陥がある、ということですか?

 ビジネス戦略に欠陥があると断じる資格は私にはありません。私はマクロトレンドの専門家ではなく、言うまでもありませんが、大企業の投資収益率を論じる立場にもありません。しかし、大手ハイテク企業で働いた経験はあります。

 サムスンでは5年間働きました。社長と直接関わることが多かったので、長期戦略に基づいて行動する企業には慣れています。前から言っているように、大手IT企業のROIに関する問題は、デバイスの使用時間と利益が連動しないことです。

 うまくいかないのは、集中的なメディアであるためです。シミュレーター酔いの原因となっている小さなこと、例えば遅延や、物理的なヘッドセットでレンダリングできる立体視レイヤーの数、焦点数などを削減しても、その効果はわずかしかありません。実感として、長時間にわたり頭に載せておきたいものでもありません。それに私たちはVRのROIをまったく異なる方法で捉えています。

--といいますと?

 VRを有効活用できる状況は何かを考える時、私は「DICE」という言葉をよく使います。「危険(Dangerous)」、「不可能(Impossible)」、「逆効果(Counterproductive)」、「高価(Expensive)」の頭文字を取った言葉です。私がWalmartのために開発した銃乱射対策の研修プログラムを使って説明します。

 私は仲間とStryvrという企業を立ち上げ、VR研修を提供しています。これまでに手がけた仕事の中でも、特に過酷だが高い効果を上げたのが大手クライアント、Walmartの依頼で実施した銃乱射対策の研修です。

 事前に研修を受けていれば、銃を持った人間が店舗に入ってきた時に従業員にできることは増えます。例えば、どんな姿勢をとるべきか、同僚や顧客の安全を確保するために、どんな声がけをすべきか、どこに視線を向けるべきか――。これまでは、こうしたことを従業員が効果的に学ぶ方法がなく、「PowerPoint」の資料などを使っていました。

スタンフォード大学のラボで研究者を支援するBailenson氏
スタンフォード大学のラボで研究者を支援するBailenson氏
提供:Stanford University

 しかし今はヘッドセットを装着するだけで、銃を携えた人間と遭遇するという、人生でもそうない恐怖体験ができます。ある男が銃を持って店に入ってきて乱射を始めます。研修の長さは20~30分です。さまざまなタイミングで体験を止め、自分ならどう行動するか考えてもらい、その選択についてフィードバックを提供します。

 例えば、8分ほど進んだところで研修を止め、犯人の目を見てはいけないと事前に言っておいたはずだと参加者に伝えます。すると参加者は「いえ、そのようなことはしていません」と答えます。しかし、参加者の視線のヒートマップを再生してみると、その時間の40%にわたり、犯人の目を見ていたことが分かります。

--VR研修の評判はいかがでしたか?

 銃乱射事件が起きたエルパソのWalmartでは、当時フロアにいた従業員の多くが当社のVR研修を受けていました。Walmartの最高経営責任者(CEO)は事件の後、VRシミュレーション研修のおかげで従業員らは適切な行動がとれたと語りました

--あなたの特に有名なプロジェクトの1つである「1,000 Cut Journey」について教えてください。

 コロンビア大学の准教授であり、メディアにおける文化的人種差別と、その影響を受けた人々の生理学的、心理学的、行動学的ストレス反応についての権威であるCourtney Cogburn氏とともに、私たちは8年を費やしてこの15分間の作品を作り上げました。

 この作品は、黒人男性Michael Sterlingになりきって、その立場になることがどのようなものかを身をもって体験する体験型の作品です。まず小学生としてクラスで罰を受けて人種的偏見を経験し、思春期には警察に遭遇し、そして若い成人として職場での差別を経験します。この作品は2019年のトライベッカ映画祭でプレミア上映され、現在は「Meta Quest」ヘッドセットを持っている人なら誰でも無料で「1000 Cut Journey」をダウンロードし、制度的な人種差別をめぐるこの教育的作品を体験できます。

この記事は海外Red Ventures発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。

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