10月16〜19日にオンライン開催された「朝日地球会議2022」の最終日に、10月10日に有楽町朝日ホールで公開収録されたパネルディスカッション「AIが広げる社会参加〜ワクワクの技術で『誰一人取り残さない』」が配信された。
盲目という障害を抱えつつコンピューター技術者として研究、発明を続けるIBMフェローで、日本科学未来館 館長の浅川智恵子氏がパネリストとして登壇。東京藝術大学 デザイン科 准教授でアーティストのスプツニ子!氏をゲストに迎え、現在浅川氏が開発中の視覚障害者の道案内を可能とする「AIスーツケース」の開発ストーリーを軸に、先端テクノロジーやAIが社会に果たす役割や、どのような未来を切り開いていけるかについて語り合った。進行役は、朝日新聞科学みらい部記者の瀬川茂子氏が務めた。
浅川氏は、11歳の時にプールで怪我をしたことが原因となり14歳で視力を失うも、大学卒業後に情報処理の専門学校を経て日本IBMに入社し、技術者としての道を歩み始めた。1992年に点字のデジタル化システムを開発し、現在のインターネット点字図書館の前身である「てんやく広場」を実用化。1997年には、世界で初の実用的な音声ウェブブラウザー「IBMホームページリーダー」を開発するなどさまざまな成果を挙げ、2009年には日本IBMとして3人目となるIBMフェローに就任。2021年からは、日本科学未来館の2代目館長を務めている。
要職に就きつつ浅川氏は現役の技術者であり、現在自らが抱える課題を基にAIスーツケースを開発している。AIスーツケースは、盲導犬や白杖のように視覚障害者の支えとなり、利用者を目的地まで安全に案内するためのナビゲーションロボットである。AIをはじめとするさまざまなテクノロジーを駆使し、スーツケースに搭載されているカメラなどのセンサーによって、視覚障害者が歩行者や障害物との衝突を回避しながら独力で安全に目的地に向かう事を支援する。
開発に当たっては、周囲に溶け込めるような見た目と機内持ち込み型にこだわって、製品化されているスーツケースを改良して開発したとのことである。スマートフォンで目的地を選択すると、あらかじめ登録されている地図情報と位置情報をもとに、ルートを計算して目的地まで誘導する仕組みとなっている。ハンドルには振動子がついていて、曲がる方向などを振動で伝達、周囲のお店の情報を読み上げる機能も備える。「ニューノーマルな時代になって、距離を開けて行列に並ぶ機会が多くなったが、単独で行列に並ぶこともできる」(浅川氏)という。
浅川氏が開発したAIスーツケースについてスプツニ子!氏は、「これだけで便利になるが、さらにさまざまな機能もアドオンできると思う。AIやテクノロジーによって、できることの可能性が広がる。例えばスーツケースが代わりに言葉を発するようになり、海外で買い物もできるようになるのでは」と期待を寄せる。
スーツケースの上部には、自動運転車にも使われている「LiDAR(ライダー)」技術を活用した360度全方向型の円筒型センサーが搭載され、その下にも深度カメラを搭載。それらによって、周囲の壁や障害物との距離、形を計測することができる。
スーツケースの中には、まずファンとその奥に3つのGPU計算機を搭載し、画像解析を行う。真ん中にバッテリーがあり、反対側には小型コンピューターを搭載し、各種計算処理のほかに地図情報やデータの管理、ユーザーインターフェース(UI)のコントロール、位置情報の推定、スマートフォンとの連携も行っている。CPUの上にはマイコンがあり、マイコンはハンドルとつながっている。ハンドルの上部にはボタンが設置され、ボタン操作でスピードをコントロールすることができる。更に左右のトップには振動子が入り、ハンドルの下にはタッチセンサーが付いていて、握ると動き出し、離すと止まる仕組みとなっている。
浅川氏はAIスーツケースを開発するに至った経緯について、「一人で出張することが多く、空港でスーツケースと白杖の両方を持って歩くことが大変だったので、スーツケースを白杖のように前に押して歩いてみたら、スーツケースが先に壁にぶつかり、段差も軽く落ちてくれることに気付きこれは便利だと思った。この経験を通して、スーツケースにセンサーやAI、ロボットを搭載することで、スーツケースが私たちの新たな旅のお供になってくれると考えた」と話す。
浅川氏の研究開発の成果を受けてスプツニ子!氏は、テクノロジーは課題あってこそのものであり、強者の論理だけで活用されるべきではないとの見方を示す。
「課題やハードルがあり、それをテクノロジーでどうやって解決するかを考えることによってイノベーションが起こされていくものだが、テクノロジーの世界ではどうしてもマジョリティ的な考え方が優先されがち。目が見える人の世界でUIが開発され、ジェンダーの問題で言うと男性のエンジニアが多い分、女性にとって良いテクノロジーがなかなか開発されないし広がらない。資本主義とキャピタリズムの力が強いと、どうしてもマジョリティ的な考え方でテクノロジーが進んでしまうが、その中で多くの人がちゃんとテクノロジーによって生きやすい、働きやすい、過ごしやすいことを考えていくことが重要なので、その意味でも浅川さんの研究は素晴らしいと思う」(スプツニ子!氏)
AIスーツケースの開発に当たって浅川氏が課題として挙げるのが、社会実装に向けたハードルをどう超えていくかという問題である。AIスーツケース自体もまだ品質的にまだ実験段階の域を出ず、社会実験を繰り返してデータを集めていく必要があるが、特に日本では規制が厳しく、技術の追求だけでなく社会インフラや規制との兼ね合いも探っていかなければならないとする。それを実現するために浅川氏は、「技術をきちんと説明し、社会の理解を得る努力が必要」と語る。
実際にこれまで浅川氏が開発してきた技術、発明は、自らの困りごとに端を発したものからそれ以外の領域でも使われるようになっていて、視覚障害者が抱える課題を解決したテクノロジーが、音声読み上げ技術などに採用されて社会にイノベーションを引き起こしている。そうなった理由は、「障害者を支援する技術が、社会が理解しやすい技術だったから」と浅川氏は説明する。
社会との対話という部分で、スプツニ子!氏もアーティストとしてゲノム編集に関する作品や、同性間のカップルがIPS細胞で子どもをつくるなどの作品を創ってきているが、「やはりテクノロジーやサイエンスが私たちの当たり前を変えようとするときには、対話をする姿勢が重要」と同調する。AIスーツケースの開発に対しては、「最初は目が見えない人のために作ったテクノロジーでも、それが思わぬ方向でマス化されたり、多様な用途が見つかったりする事はあるはず。テック系のビリオネアの中には宇宙を目指している人たちもいるが、もっと地球の中に解決すべき課題はある。そういう意味でも、AIスーツケースの研究が盛り上がって欲しい」と期待を寄せる。
またスプツニ子!氏は、本来解決すべき課題とテクノロジーを結び付けるためのもう一つの重要な要素として、困っている側が積極的に声を上げる必要性を指摘する。例えば海外の事例では、顔認識のアルゴリズムに白人男性のデータが多く使われていたことに気付いた黒人女性研究者が声を挙げたことに端を発して、現在では多様性の視点でAIのアルゴリズムを確認するようになったとのこと。
また最近になって女性の健康の課題をテクノロジーで解決する「フェムテック」が普及し始めた状況だが、以前からスプツニ子!氏は、男性が生理を体験することができるマシンを開発して、アートとテクノロジーの融合の視点から世間に問いかけを行ってきたという。
「開発者にも悪気はないし、気付いていなかっただけという事は多い。ただ、『何でないの?』と困っている人たちがたくさんいる中で、多様な課題に向いてテクノロジーを使っていくという意識を私たちは持っていなければならない」と訴えかける。今回のセッションは、モデレーターを含めて女性だけで行われた。「技術を語るセッションで女性3人が並ぶことは非常に珍しい。この形が逆転すると、今まで存在していたが認識されていなかった課題が見つかり、そこに新たな技術開発の方向性がたくさん見つかる可能性がある」と瀬川氏。
それを受けてスプツニ子!氏は、「テックがイケイケの時代は終わり。世界にはさまざまなニーズを抱えている人がいる。テクノロジーが無視してきたコミュニティがいるということに気付かないといけない。そこは課題の宝庫で、課題はイノベーションに直結する。最近はソーシャルインパクトのスタートアップが増えているし、今日のようなセッションが開催されていることにも意味があると思っている」とコメントした。
最後に浅川氏は、日本科学未来館館長の立場も含めて、「今日は3人女性という事で、貴重な体験をした。未来館では探求学習を支援するような題材やワークショップをどんどん提供していって、STEAM(Science、Technology、Engineering、Art、Mathematics)教育を横串で支援できるような活動をしていきたいと思っているが、STEAM教育のロールモデルでもあるスプツニ子!氏と話ができて良かった。これからもコラボレーションして、未来の子どもたちがグローバルな人材に育っていけるようご一緒して欲しい」と展望を述べた。
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