それから15年が経った今、Jobs氏の発言が正しかったことは承知のとおりだ。Appleは米国時間2007年1月9日、確かに歴史を作った。同社はあの日、家電の歴史の中で最も象徴的な製品の1つを発表して、社名をApple Computer Inc.からApple Inc.に変更し、もはや「Mac」だけで知られる企業ではないことを示したのだ。2007年6月29日の初代モデルの発売以来、さまざまなモデルのiPhoneが発表され、これまでの販売台数は20億台を突破している。iPhoneは、世界中の人々のお気に入りのスマートフォンとなり、毎年9月には、多くの人が新モデルの発表を心待ちにしている。iPhoneは携帯電話のデザインを一変させ、電話業界全体を変えた。
また、iPhoneは事実上、スタンドアロン式音楽プレーヤーやGPS受信機、ローエンドからミッドレンジのデジタルカメラの終焉をもたらした。2022年5月、初代「iPod」の発売から約21年後に、Appleは「iPod touch」の販売終了を発表し、iPhoneや「iPad」など、他のデバイスで「iPodの精神は生き続ける」と記した。
サンフランシスコのモスコーニセンターの外では、「Macworld」の基調講演の席を確保するため、人々がいつも何日も前から列をなしていた。ハワードストリートで野宿していた人々は、モスコーニウェストに案内される報道陣やアナリスト、Appleの幹部やその他のVIPを見ることができた。われわれは、カンファレンスセンターの最上階で開場を待っていた。
Appleは当時、イベントが始まる10分前まで会場の扉を開けなかったため、熱狂的な群衆が毎回、最高の席をめぐって争っていた。4000人が会場に入場して、席を確保するのにかかる時間は、2分程度だったのではないだろうか。Jobs氏の基調講演が始まる前に、すでに観衆は話を聞きたくてたまらない状態になっていたと言えるだろう。
そして、同氏は観衆を楽しませる術を間違いなく心得ていた。
偉大なショーマンであるJobs氏は、2時間近くの基調講演を通して、報道陣やアナリスト、開発者、従業員、Appleファンで構成される観衆を絶えず期待させ、驚嘆させた。
同氏はまず、1年前にMacがIntelチップに移行したことに言及し、新しいアーキテクチャーへの移行が成功だったことはMacの販売台数が証明している、と語った。そして、「Windows」ベースのPCからMacに切り替えた大勢の「乗り換え組」を歓迎した。
また、当時の5年以上前に発売されたiPodを賞賛し、世界で最も人気のある音楽プレーヤーであるだけでなく、世界で最も人気のある動画プレーヤーでもあると評した(筆者はiPodの発表の場にもいた)。さらに、2カ月前に発売され、苦戦を強いられていたMicrosoftの競合製品「Zune」についてジョークを飛ばし、観衆の笑いを誘った。その後、スコットランドのグラスゴーのインディーバンドThe Fratellisの楽曲「Flathead」に合わせて踊るダンサーたちのネオンカラーのシルエットが登場する、iPodの最新テレビCMを再生した。
そして、「Apple TV」を発表した。
その間ずっと、筆者は床に座って、短い、すべて大文字の見出しを打ち込んでいた。ある意味で、初期のTwitterの記事のようだった。Jobs氏がプレゼンテーションのクライマックスに到達した頃には、筆者の見出しは「Apple unveils phone」(Appleが電話を発表)の19文字で十分になっていた。それは、同氏がステージに登場してから20分後のことだった。
このニュースが報じられて間もなく、Appleの株価は急騰し、まるでホッケースティックのような形のチャートになった。
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