内藤聡氏が2015年にシリコンバレーで立ち上げた「Anyplace」は、ホテルやコリングスペースなどを賃貸サービスとして貸し出すとして、現在、世界65カ国450都市でサービスを展開している。2021年には、リモートワークに特化した新サービス「Anyplace Select」も開始し、米国で稼働率96%という好業績を維持する。
大学卒業と同時に渡米し、いくつかの事業アイデアを経てAnyplaceにたどり着いたという内藤氏。日本ではなく、起業場所としてシリコンバレーを選んだ理由とはどうしてなのか。またスタートアップがひしめき合う米国で起業し、生き残るためにどんな経験を重ねてきたのか、など渡米から現在までの経緯を3回に渡って紹介する。第1回では大学卒業から渡米までの経緯を聞いた。
第2回「 ピボットの繰り返しからビジネスアイデアを掴むまで」はこちら
第3回「チーム構築から新事業立ち上げまでとこれから」はこちら
内藤氏は1990年、山梨県の生まれ。実家は木工機械を扱う会社を経営しており、子どもの頃から社長業をする父親の姿を見ながら育ったという。「それほど大きな会社ではないが父親が社長なので、会社の経営や社長として商売をすることはわりと身近に感じていて、ある意味『社長楽勝』みたいな気持ちもあって(笑)。逆に会社に勤める、いわゆるサラリーマンが羨ましくて憧れていた」と当時を振り返る。
高校までを山梨で過ごし、立教大学の経済学部に進学。大学2年生の時に上映された映画「ソーシャル・ネットワーク」を見たことが転機になる。「自分とそれほど年齢の変わらない若い人が世界にインパクト与える仕事をしている。これを見た時は本当に衝撃を受けた。そこから起業に興味を持ち、在学中に『セカイカメラ』を手掛けた井口さん(IT起業家の井口尊仁氏)のところでインターンとして働いた」と、映画きっかけに起業に向け大きく動き出す。
井口氏は、当時から米国で活動していた起業家。シリコンバレーのピッチイベントに参加するなど、日本にとどまらず広い視野で事業を展開していたという。「井口さんの話を聞くととにかく米国のビジネスがいいよと。そこで実際に学びたいという気持ちが高まり、半年間大学を休学し、シリコンバレーに語学留学した」と起業に向け、在学中に第一歩を踏み出した。
「語学留学といっても、その半年で英語が話せるようになったわけではなく、ただシリコンバレーに行くことで、起業に対する思いは強くなった。帰国後には、ベンチャーキャピタルのイーストベンチャーズでアソシエイトとして働き、ベンチャーキャピタルや投資家とスタートアップの関係を学んだり、ファンドについて知識を身にけつたりした。井口さんも松山さん(イーストベンチャーズ 代表の松山太河氏)も、若い世代を過小評価せず、可能性にかけるという思いで出資していて、その姿を見ながら起業において肌で勉強をさせてもらった。私自身、起業のきっかけはソーシャル・ネットワークの映画だったが、スタートアップという世界を感じ、米国で挑戦してみたいと思ったのは、お2人の仕事を身近で見ていたから」と井口氏と松山氏との出会いが、起業への決意をさらに強固なものにする。
シリコンバレーでの起業は夢も大きいが、ハードルも高い。日本で起業することは考えなかったのだろうか。「もちろん日本での起業も考えた。ただ日本と米国の起業家ではスケールが違うなと。例えばTwitterを立ち上げたJack Dorsey(ジャック・ドーシー)氏は、『Square』(現社名はBlock)も立ち上げていて、時価総額は何兆円という規模。そういうのは純粋にかっこいいと思ったし、そういう世界で挑戦したいと思った」と思いを馳せる。
また「それこそ事業のアップサイド(成長余地、業績の伸びしろ)も違う」と強調する。「同じビジネスを展開しても、日本での時価総額は2ケタ億円くらい。しかし英語圏で使われることを考えると数千億円規模になる。同じ事業を展開しても受け入れられるユーザー数が違う。英語の壁はあるが、成功したときのアップサイドは大きい。そこも米国で起業する魅力の1つ」と世界を見据える。
起業に向けた強い意志を持ち、内藤氏は大学卒業と同時に渡米。「英語もあまり話せなかったし、事業のアイデアももっていたわけではないが、とりあえず行ってみようと。いかないと見つからないこともある」と学生ビザでシリコンバレーに来たのが2014年。「不安はたぶんあったと思うのだけれど、就職したくなったらできると思っていたし、まぁ、食いっぱぐれることはないだろうと(笑)。こちらで失敗して帰国してもそれがマイナスになることは絶対にないと思っていた。逆に一度日本で就職してから米国で起業しようと思ってもそちらのほうが難しいかなと」と卒業とともに実行に移す。
ただし、当初は「英語も話せないし、お金もない。友達もいないという状況。どうしていいのかわからなかった」とその時の状況を明かす。その時に知り合ったのが、シリアルアントレプレナーの小林清剛氏だ。
「同じタイミングで、日本での事業を売却し渡米していた小林さんと知り合い、いろいろとアドバイスをいただいた。お金も貸してくれて、それを元に始めたのがシリコンバレーでのシェアハウス。シェアハウスを運営すれば、そこに自分が住めるし、低コストで長く滞在するにはこれだと思った」と初の事業をスタートする。
イーストベンチャーズでの勤務経験や小林氏との出会いなど、内藤氏の起業の背景には人との出会いが大きなターニングポイントになっている。「出会ったきっかけは日本にいる時に書いていたブログ『シリコンバレーによろしく』。松山さんも小林さんもこのブログを読んでいてくれて、声をかけてもらった。渡米時はどこからかアメリカに行くことを聞いてくれて、メッセージをいただき、向こうであいましょうということからお付き合いが始まった」と自ら発信する場所を持っていたことは大きな強みになったそうだ。
自ら発信する場は渡米後も「インタビューブログ」という形で維持する。「どんどん人に会いにいきたいが、なかなかきっかけが掴めない。でも『インタビューをしたい』といえば大抵の人はあってくれる。そこで話を聞き、ブログとして公開する。ただ、それだけだと一時的なお付き合いになってしまうため、インタビュー後に『おいしいお寿司を食べに行きましょう』と誘い、食事をすることでもう一度会うきっかけを作り、それを何度か繰り返すことで友達になっていった」と自らの手法を明かす。
自分の住む場所と収入の2つを得るために始めたシェアハウスだが、始めるまではとにかく大変だったという。「日本から来ただけの状態のため、収入証明もクレジットスコアもなく、家を貸してくれる人がまず見つからなかった。一つひとつオーナーをあたっていくなかでようやく一人のオーナーが貸してくれることになったが、お金がないので、家賃2カ月分とデポジットの先払いができない。その時も松山さんと小林さんにお借りして、なんとか開始できた」とシェアハウスの運営にこぎつける。
シェアハウスの運営は「いろんな人に会えて楽しかった」とのこと。同時に住む場所を提供するためのノウハウを身につけ、ユーザーニーズも把握していく。「シェアハウスとは言え、宿泊するためにみなさん大金を払ってくれる。それに見合った価値を提供するにはどうしたらいいのかということを考えていた」と起業に結びつくビジネスアイデアを模索する。
ビジネスアイデアを練りながらシェアハウスを運営すること約1年半を経て立ち上げたのが、Airbnbの空き室を直前で割り引いて提供するマーケットプレイスだ。「当時Airbnbはものすごく伸びていて、その一方で、ホテル直前予約サービスのHotel Tonightも人気があった。Hotel Tonightの民泊版を提供すれば人気が出るだろうと考えた」と当時人気のあったサービス2つをかけ合わせたアイデアだったという。
「今思うと良くなかったと思うが、当時は流行っている者同士をかけ合わせることで良いビジネスを生み出せると考えていた。思い返せばすごく頭でっかちのアイデアだったと思う。エンジェル投資家の方やイーストベンチャーズから資金調達をして始めたが、上手くいかず、家具レンタルなど、事業をピボットしながらたどり着いたのがAnyplace。会社を始めてから約2年が経過していた」と軌道に乗るまでに数年を要した。
「成功したスタートアップを見ると、スポットライトがあたり、とても華やかな世界。でもそれは本当に一部の話。事業の立ち上げには5年はかかるし、やるべきことはたくさんあり、やめたくなることのほうが多いと思う。それでも続けられる人が残り、『腰を据えてがんばれるかどうか』は、投資家やベンチャーキャピタルが見ている部分」と1〜2年で結果は出ない世界であることを強調する。
「英語は得意ではなく、渡米当時はスターバックスの注文でも緊張してしまうくらい(笑)」と話す内藤氏だが、言語は起業する際のハードルにはならなかったのだろうか。「ハードルにならないわけではないが、致命的ではないという感じ。致命的なのは人がほしいと思う事業を作れないこと。これは本当に英語を身につけるよりもずっと難しい。英語力は努力や事前準備でなんとかなる部分。インタビューブログも取材は英語なので、かなり難しかったが、事前に英語で質問を考えていき、録音データを聞き取りしながら仕上げていった」とかなりの努力を積み重ねることで、英語力を身につけてきたことがうかがえる。
ビジネスアイデアの重要性とともに重視するのが「やってみること」という実践を第一に据えた姿勢だ。「米国での起業はゼロからイチを作り出すこと。真似するものがない全く新しいビジネスを考えないとならない。考えているだけでは形にならないので、とにかくやってみることが大事。ビジネスアイデアを人に話すと大体の人は『いいね』『使ってみたい』と言ってくれる。しかしいいアイデアでもユーザーが対価を支払うかどうかはわからない。これはすべてのスタートアップに言えることだと思うが、売れるかどうかはやってみないとわからない。仮説を立て、実証してみて、仮説通りでなければ何がいけなかったのか検証し、それを繰り返す。そこではじめてビジネスアイデアがビジネスになっていく」とトライアンドエラーの重要性を説く。
2014年の渡米から約8年。内藤氏に当時に自分へのアドバイスを聞いてみた。「すぐに成功すると思わないこと。大きな事業を作るために大きな変化を恐れないこと。失敗しても当たり前と思うこと。失敗は悪という雰囲気は常にあると思うが、失敗しない人なんていない。失敗から学び成功に結びつく」と言い切った。
「英語も話せない。お金もない。友達もいない」とないないづくしだった渡米から、事業立ち上げまでを振り返った第1回。第2回はAnyplaceの立ち上げから、ともに事業を手掛けてきたCTO 田中浩一氏との出会い、グローバル規模で探す人材採用などについて聞く。
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