Fadell氏によると、2001年10月23日、カリフォルニア州クパチーノにある同社のタウンホール講堂で開催されたAppleイベントでJobs氏がiPodを発表したとき、このデバイスは厳密には未完成だったという。ソフトウェアがまだ完成しておらず、同社は生産計画をまだ承認していなかった。しかし、Jobs氏は、集まった報道陣に対して、バージョン1.0にまだ到達していないiPodと、そのデバイスにあらかじめインストールされている楽曲が収録された20枚のCDをプレゼントした。
発表イベントの後、Fadell氏とチームはすぐに作業を再開した(発売前のiPodを受け取った記者たちは、数週間後にバージョン1.0が発売されたとき、そのiPodの返却を求められた)。
そうしたことがあったにもかかわらず、iPodの斬新なデザインと革新的なスクロールホイールは多くの批評家から絶賛された(「早い時期にiPodを見た人は、スピーカーだと思ったようだ」とFadell氏は振り返る)。だが、熱狂的なMacファンが飛びついた後、iPodの勢いは失われる。
「その後は、完全に低迷した」(Fadell氏)
Fadell氏の発言は少し大げさかもしれない。報道によると、Appleは最初のホリデーシーズンに12万5000台のiPodを販売したという。しかし、その売り上げは同社の業績を好転させるほどのものではなかった。Fadell氏がJobs氏と率直に語り合って、Appleへの入社に同意したとき、決め手となったのは、前進し続ける意欲だった。
Fadell氏はJobs氏に対して、初代モデルへの投資だけで終わりにするのではなく、iPodを最後までやり抜き、製品ファミリーとして取り組むつもりはあるのか、と尋ねた。会社が次のモデルに投資したくないために、発売から9カ月後に最初の製品を打ち切るという状況を、Fadell氏は何度も経験していた。製品を軌道に乗せるには3世代かかる、というのが同氏の考えだった。
「多くの人は途中でやめてしまう。私は、それだけは絶対に避けたいと思っていた」(同氏)
Jobs氏はFadell氏に対し、中核的なMac事業からリソースを引き出して、iPodにマーケティング費用を投じるつもりだと語った。そして、初代と第2世代のiPodの売り上げが振るわなかったにもかかわらず、Jobs氏は諦めなかった。
「彼は約束を守った。その後の展開は、皆さんもよくご存じだろう」(Fadell氏)
iPodがマスマーケットで大きな話題になり始めたのは、再設計され、洗練されたデザインを備える第3世代モデルが発売された2003年のことだった。Fadell氏によると、同氏とJobs氏は世代を重ねるごとに完成度を高めていくため、互いを鼓舞し合ったという。また、「iPod nano」が登場する頃には、AppleはNAND型フラッシュメモリーの一番の消費企業になっていたという。
「われわれには、12カ月ごとのサイクル、リズムがあった」と同氏。「それに合わせて、本当に大きなリスクを何度も冒した。安全策はとらなかった。栄光の上にあぐらをかくことも決してなかった」
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