Appleが2003年4月に「iTunes Music Store」を開設したことで、ユーザーは自分のCDをリッピングしなくても、20万のデジタル楽曲のカタログから好きな音楽を購入できるようになった。これにより、iPodはさらに勢いを増した。
以前から、他のデジタル音楽プレーヤーも存在していたが、すべてを変えたのはiPodだった。iPodは、デジタル音楽プレーヤーというカテゴリーを本格的に確立しただけでなく、80%以上のシェアを獲得して市場の絶対的な支配者となった。その過程で、Appleは優れたマーケティング力を見せており、音楽とiPodを宣伝する象徴的な広告を作成した(iPodのシルエットが登場するCMを覚えておられるだろうか)。さらに、Jobs氏は2004年、ロックバンドのU2と手を組んで、黒色の筐体に赤色のクリックホイールを備えたスペシャルエディションのiPodを開発し、メンバーのBonoとThe Edgeと一緒に発表した。
初代モデルの発売から5年と少し経った2007年には、iPodの累計販売台数が1億台に到達。Statistaによると、iPodの売り上げのピークは、5480万台を販売した2008年だったという。Fadell氏は18機種のiPodに携わった。
Fadell氏によると、2005年までに、Appleは携帯電話が競争上の脅威になる可能性にすでに注目していたという。音楽プレーヤーやカメラが携帯電話に搭載され始めていたからだ。同氏のチームは、仮想のクリックホイールを備えたフルスクリーンのiPodや、基本的に「iPod Classic」とそのクリックホイールを携帯電話と組み合わせたプロトタイプをテストした。これとは別に、Macチームも卓球台ほどのサイズの巨大な静電容量式タッチスクリーンを開発していた。Fadell氏によると、最終的に、これら3つが融合してiPhoneが完成し、2007年に発売されたという。
そして、Appleはテクノロジーの世界を再び変えた。
Appleは今でもiPodを販売している。初代iPodよりもiPhoneに近い外観を備えた199ドル(日本版は税込み2万3980円)の「iPod touch」だ。これも、iPodの息の長さを証明している。
iPod touchと最初の3世代のiPhoneの両方に携わったFadell氏は、2008年にAppleを退社して、2010年にNestを創設し、その4年後にGoogleに32億ドルで売却した。現在は、テクノロジーのさまざまな側面でエンジニアと協力する投資顧問会社Future Shapeのプリンシパルを務めている。
Fadell氏は時折、昔のiPodで音楽を聞くという。そのiPodには、1990年代~2000年代初頭のオルタナティヴミュージック、シアトルのグランジシーンの楽曲、The White Stripes(同氏と同じデトロイト出身で、当時ブレイクしたロックデュオ)などの楽曲が大量に保存されている。
もちろん、Fadell氏にとって、それはあの熱狂的な時代を思い出させる記念碑のようなものでもある。同氏とそのチームは、iTunesソフトウェアと連携することを主目的に製品の開発に急ピッチで取り組んだが、結果として、市場に革命を起こし、テクノロジー界におけるAppleの地位を急速に高めることになった。
「思い入れのある時期の音楽ライブラリーなので、そのままにしておくつもりだ」と同氏。「電源を入れると、『一瞬で2000年代初頭の音楽が蘇る』。本当に素晴らしいミックステープのようなものだ」
この記事は海外Red Ventures発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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