2007年、Windows Mobileはスマートフォン市場で12%のシェアを獲得していた。この市場シェアは63%のSymbianに次ぐ第2位で、9.6%で同率だったResearch in Motion(この名前をご記憶だろうか)と「Linux」を若干上回っていた。Appleの市場シェアはわずか2.7%だった(これらの数字の出典はすべて市場調査会社のGartner)。
1年後、そうした状況に変化が訪れた。Microsoftのシェアは11.8%に留まったが、「iOS」が一気に8.2%まで拡大した。Symbianは52.4%、Research in Motion(RIM)は16.6%だった。2009年までにAppleはMicrosoftを追い抜き(シェアはそれぞれ14.4%と8.7%)、それ以来、「iPhone」は勢いを概ね持続している。2010年、Microsoftのスマートフォン市場シェアはわずか4.2%になった。
「Android」の登場で、Symbianの市場シェアは消滅し、RIM(後のBlackBerry)も熾烈な競争に取り残され、現在の2強によるモバイル競争が始まった。
MicrosoftはPDA分野のリーダーからスマートフォン分野のリーダーへの移行に失敗し、一部のユーザーだけが興味を持つニッチな存在になってしまったようだ。
当時NokiaのCEOだったStephen Elop氏による、有名な「焼け落ちるプラットフォーム」のメモが流出したのは、2011年初めのことだ。NokiaはAndroidとiOSに打ちのめされていると、Elop氏はそのメモの中で警告した。このような状況を受けて、Nokiaは「Windows Phone」をメインのプラットフォームとして採用し、最終的に2013年9月に携帯電話事業をMicrosoftに売却した。
Microsoftがそれ以前にNokiaを買収するとは考えにくかった。ただし、Microsoftにとってそれが唯一の選択肢だったわけではない。別のハードウェア企業を買収したり、単純にゼロから始めたりすることも可能だったはずだ。Googleが現在しているように、ハードウェアの製造を外注することもできただろう。
Microsoftがハードウェア事業にもっと早く進出していたら、どうなっていたのだろうか。何しろMicrosoftは、「Surface」シリーズでPCの復活に大きく貢献しているのだ。
Nokiaのハードウェア事業の買収がMicrosoftのスマートフォン市場シェア拡大にほとんど貢献しなかったのは明白だ。そのことは、自社のハードウェアを扱う能力が必ずしも問題ではなかったことを示唆している。
問題は単にハードウェアだけではなく、もっと複雑なものだったはずだ。iOSの差別化要因は(このことはAndroidメーカー各社も理解しているように思えた)、アプリのエコシステムがスマートフォンの魅力向上に重要な役割を果たしたことだった(アプリのエコシステムは消費者を特定のプラットフォームに囲い込む役割も果たした)。
Appleがキーボードを完全に排除する決定を下したことも大きな要因だった。慣習を破壊(メニューの代わりにアプリを採用)したユーザーインターフェースのシンプルさや、ビジネスユーザーより消費者を重視したことも同様だ。Microsoftは何年も前から携帯電話向けソフトウェアを開発していたとはいえ、エンタープライズテクノロジを手がけてきた企業だったため、こうした市場の変化に不意打ちを食わされた。大きな変化を引き起こすには遅すぎる時期になるまで独自のハードウェアを製造できなかったことは、要因の1つではあったかもしれないが、決して最も大きな原因ではなかっただろう。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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