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少ない音数の美学から作家性の時代へ--ゲームミュージック作家が語る過去と未来

佐藤和也 (編集部)2014年12月25日 09時30分
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 12月12日、デジタルハリウッド大学大学院駿河台キャンパスにて「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾(二十弐)」と題したトークセッションが開催された。コラムニストの黒川文雄氏が主宰。エンターテインメントの原点を見つめなおし、ポジティブに未来を考える会となっている。

 今回は「ゲームミュージックの軌跡と奇跡」と題し、ゲームミュージックの世界のこれまでとこれからについて語り合う形となった。登壇したのは、「スペースハリアー」や「アウトラン」をはじめ長年セガのゲームサウンドを生み出してきたHiro師匠こと川口博史氏、「伝説のオウガバトル」や「ファイナルファンタジータクティクス」などを手がけたことでも知られるベイシスケイプ代表取締役社長の崎元仁氏、「ダライアスバースト」などを手がけたタイトーのサウンドチーム「ZUNTATA」に所属する土屋昇平氏、ゲーム雑誌編集を経てフリーでライターなどの活動をしているローリング内沢氏、ゲーム音楽史を研究している音楽プロデューサーのHallyこと田中治久氏。

左から、あいさつで登壇した会場となっているデジタルハリウッド大学の学長である杉山知之氏、黒川文雄氏、Hiro師匠こと川口博史氏、崎元仁氏、土屋昇平氏、ローリング内沢氏、 Hallyこと田中治久氏
左から、あいさつで登壇した会場となっているデジタルハリウッド大学の学長である杉山知之氏、黒川文雄氏、Hiro師匠こと川口博史氏、崎元仁氏、土屋昇平氏、ローリング内沢氏、Hallyこと田中治久氏

海外がほれ込む日本のゲームミュージックの魅力は「音数の少なさ」

 冒頭では、レッドブル・ミュージック・アカデミー公式サイトで公開されているドキュメンタリーシリーズ「ディギン・イン・ザ・カーツ」について触れられた。これは日本のテレビゲームミュージックの歴史を探る内容で、ニュージーランド出身のニック・デュワイヤー氏がプロデューサーを務めた。ちなみにこのタイトルは、カートリッジを示す「カーツ」とDJがレコードを選ぶときに使う「ディグ」を掛け合わせたもので、ゲームカートリッジを掘り起こすという意味合いがあるという。

 番組では海外のアーティストが、日本のゲームミュージックにインスパイアされたと語っている。しかしながら、田中氏は海外では日本のようなゲームミュージックの市場はなかったと説明する。実際にCDパッケージとして発売されたのは微々たる量かつ、店頭に並ぶのはそのなかの一握りという状況が2000年代前半までは続いていたという。

  • Hiro師匠こと川口博史氏

 一方で、ゲームミュージックというものがインターネットによって海外のファンに広く知られるようになったこと、さらに子どものころにファミコンなどで遊んだ人たちが大人になり、ゲームミュージックの魅力を大人の視点で語れるようになってきたこともあり、注目されるようになったのではと推察した。内沢氏は、ニック氏が小さいことに遊んでいたゲームの音楽を誰が作っているのが当時はわからず、大人になってから調べてもなかなか見つからなかったとし「こんなにすてきな音楽を作っている人をなぜフィーチャーしないのか」という思いから、ディギン・イン・ザ・カーツを制作することにしたという。

 内沢氏いわくニック氏について「もともとゲームとゲームミュージックが好きではあるが、リサーチがすごい。徹底的に調べてから取材するので知識量が半端じゃない」。実際に映像にも出演した川口氏と崎元氏はそろって熱意と知識のあふれる人物だったと振り返った。

 ニック氏は日本のゲームミュージックについて「少ない音だけで、すてきな音を作っていることがすばらしい」と絶賛していたと内沢氏はいう。田中氏も、海外では音数の制限があっても徹底して詰め込む方向で作られており、日本のゲームミュージックは音の隙間の使い方や工夫の仕方がすばらしいという。

 崎元氏がドラゴンクエストの打ち込みをしていたときのエピソードとして、すぎやまこういち氏の楽曲のメロディがたっているにもかかわらず、音数がすごく少ないのが印象的だったとも語った。「譜面を見るとすごく白い。それだけみると心配になるぐらいだったが、打ち込んでみるといい音楽になっている」という。実際に崎元氏は「音数が少ないイコール偉い」という持論を持っており、テクニックが付いてくると音を入れたくなってしまうのだが、それよりも音を抜いていくほうが難しいという。

  • 崎元仁氏

 長年コンポーザーとして活躍している崎元氏ではあるが、もともとはゲーム制作を志望しており、プログラムをメインにしていたという。高校時代に仲間内でゲームを制作する際、曲を書けそうなのが自分しかいないことからの成り行きで音楽制作を始めたものの、特別に音楽の勉強をしていたわけではなかったと振り返る。そんな崎元氏は前述の伝説のオウガバトルで初めてオーケストラ風の曲を書き、それが好評となった。しかしながらその印象が強くなってしまい、そのジャンルのオファーが多く舞い込み戸惑った時期もあったという。崎元氏はいわゆる“付け焼き刃”であったため、5曲程度は見よう見まねでできても、10曲以上となると専門的な勉強は必要だと感じたという。

 川口氏もセガにはプログラマーとして採用されたという。もっとも当初からサウンド志望であり、音楽の勉強は独学ながらアマチュアバンドとして活動を行っていた経歴があったという。当時ゲームミュージックを制作する人が楽器を弾けるのが珍しかったこともあり、崎元氏は川口氏のようなアーティストの風格を漂わせる人物が登場したことにうれしさを感じたと振り返った。

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